の恨《うらみ》を飮《の》んで、印度洋《インドやう》の海底《かいてい》に沈沒《ちんぼつ》せしめられたのである。
風《かぜ》軟《やはら》かに、草《くさ》みどりなる陸上《りくじやう》の人《ひと》は、船《ふね》の沈沒《ちんぼつ》などゝ聞《き》けば、恰《あだか》も趣味《しゆみ》ある出來事《できごと》の樣《やう》に思《おも》はれて、或《あるひ》は演劇《えんげき》に、或《あるひ》は油繪《あぶらゑ》に、樣々《さま/″\》なる事《こと》をして其《その》悲壯《ひさう》なる光景《ありさま》を胸裡《むね》に描《ゑが》かんとして居《を》るが、私《わたくし》の如《ごと》く現在《げんざい》其《その》難《なん》に臨《のぞ》んで、弦月丸《げんげつまる》が悲慘《ひさん》なる最後《さいご》を遂《と》ぐるまで、其《その》甲板《かんぱん》に殘《のこ》つて居《を》つた身《み》は、今更《いまさら》其《その》始終《しじゆう》を懷想《くわいさう》しても身《み》の毛《け》の彌立《よだ》つ程《ほど》で、とても詳《くわ》しい事《こと》を述立《のべた》てるに忍《しの》びぬが、是非《ぜひ》に語《かた》らねばならぬ其《その》大略《あらまし》だけを茲《こゝ》に記《しる》して置《お》かう。
海蛇丸《かいだまる》が我《わが》弦月丸《げんげつまる》の右舷《うげん》に衝突《しやうとつ》して、風《かぜ》の如《ごと》く其《その》形《かたち》を闇中《やみ》に沒《ぼつ》し去《さ》つた後《のち》は、船中《せんちゆう》は鼎《かなえ》の沸《わ》くが樣《やう》な騷《さわぎ》[#ルビの「さわぎ」は底本では「さわき」]であつた。泣《な》く聲《こゑ》、喚《わめ》く聲《こえ》、哀《あはれ》に救助《たすけ》を求《もと》むる聲《こゑ》は、悽《すさ》まじき怒濤《どとう》の音《おと》と打交《うちまじ》つて、地獄《ぢごく》の光景《ありさま》もかくやと思《おも》はるゝばかり。あらゆる防水《ぼうすい》の方便《てだて》は盡《つく》されたが、微塵《みぢん》に打碎《うちくだ》かれたる屹水下《きつすいか》からは海潮《かいてう》瀧《たき》の如《ごと》く迸《ほとばしり》入《い》つて、其《その》近傍《きんぼう》には寄《よ》り附《つ》く事《こと》も出來《でき》ない。十|臺《だい》の喞筒《ポンプ》は、全力《ぜんりよく》で水《みづ》を吐出《はきだ》して居《を》るが何《なん》の效能《こうのう》も
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