いま》は日數《ひかず》も二週《ふためぐり》あまりを※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、73−5]《す》ぎて眞《しん》の闇《やみ》――勿論《もちろん》先刻《せんこく》までは新月《しんげつ》の微《かす》かな光《ひかり》は天《てん》の奈邊《いづく》にか認《みと》められたのであらうが、今《いま》はそれさへ天涯《でんがい》の彼方《かなた》に落《お》ちて、見渡《みわた》す限《かぎ》り黒暗々《こくあん/\》たる海《うみ》の面《おも》、たゞ密雲《みつうん》の絶間《たへま》を洩《も》れたる星《ほし》の光《ひかり》の一二|點《てん》が覺束《おぼつか》なくも浪《なみ》に反射《はんしや》して居《を》るのみである。
實《じつ》に物淋《ものさび》しい景色《けしき》※[#感嘆符三つ、73−10] 私《わたくし》は何故《なにゆゑ》ともなく悲哀《あはれ》を感《かん》じて來《き》た。すべて人《ひと》は感情《かんじやう》の動物《どうぶつ》で、樂《た》しき時《とき》には何事《なにごと》も樂《たの》しく見《み》え、悲《かな》しき時《とき》には何事《なにごと》も悲《かな》しく思《おも》はるゝもので、私《わたくし》は今《いま》、不圖《ふと》此《この》悽愴《せいさう》たる光景《くわうけい》に對《たい》して物凄《ものすご》いと感《かん》じて來《き》たら、忽然《たちまち》樣々《さま/″\》な妄想《まうぞう》が胸裡《こゝろ》に蟠《わだかま》つて來《き》た、今日《こんにち》までは左程《さほど》迄《まで》には心《こゝろ》に留《と》めなかつた、魔《ま》の日《ひ》、魔《ま》の刻《こく》の怪談《くわいだん》。白色檣燈《はくしよくしやうとう》の落下《らくか》、船長《せんちやう》の憤怒《ふんぬ》の顏《かほ》。怪《あやし》の船《ふね》の双眼鏡《さうがんきやう》。さては先日《せんじつ》反古《ほご》の新聞《しんぶん》に記《しる》されてあつた櫻木海軍大佐《さくらぎかいぐんたいさ》と其《その》帆走船《ほまへせん》との行衞《ゆくゑ》などが恰《あだか》も今夜《こんや》の此《この》物凄《ものすご》い景色《けしき》と何等《なにら》かの因縁《いんねん》を有《いう》するかのごとく、ありありと私《わたくし》の腦裡《のうり》に浮《うか》んで來《き》た。
『無※[#「(禾+尤)/上/日」、74−7]《ばか》なッ、無※[#「(禾+尤)/上/日」、74−
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