もかれこれ十二時に近く、林中には相変らず梟《ふくろう》の鳴声も聴《きこ》えて、其|物凄《ものすご》い事は限りもなかったが、露子は意を決して真暗な林中に入って行った、入って見ると、歩行も左程《さほど》困難では無く、彼女は何んでも約束通り探検を果そうと思う一心に小さな角燈の光に路《みち》を照して彼方此方《かなたこなた》[#ルビの「かなたこなた」は底本では「かなたあなた」]と歩いて居る内に森林の入口から凡《およ》そ四五町も来たと覚《おぼ》しき頃《ころ》、前方に当り一個の驚くべき物を発見した、それは地上三尺ばかりの所に、一点の青い光が幽霊火の如《ごと》く輝いて居るのである。
露子はギョッとして立止った、今頃この淋《さび》しい林中に、あんな光の点《とも》って居る筈《はず》は無い、実に不思議千万である、イヤ不思議なばかりでは無く、誰《だれ》でも恐ろしく思うだろう、露子は最《も》う此処《ここ》から逃げ帰ろうかと考えたけれど、夫《そ》れでは充分に探検したものと云《い》われない、彼女は此《この》場合にも父君との約束を胸に浮べ、妖怪《ようかい》であれ幽霊であれ、是非その正体を見届けねばならぬと決心し、静かに歩んで彼《か》の青い光の直《す》ぐ側に行って見ると、更に意外である、幽霊火と見えたのは其様《そん》な恐ろしい物では無く、一個の青色球燈が樹《き》の枝に吊《つる》してあり、其真下の地面には、青い光に照されて、一尺四方ばかりの奇妙な箱が置いてあった。
「オヤ不思議だこと、先刻《さっき》の流星が此様《こん》な物を落して行ったのではありますまいか、不思議と云えば此箱こそ実に不思議なもの、持って帰って阿父様《おとうさま》に御覧に入れましょう」と、露子は其箱を持上げて見ると非常に重かったけれど、夫れを両手に抱えて家に帰って来た。
三人の娘が尽《ことごと》く帰って来たので、父伯爵は一同其居間に呼び、先《ま》ず一番目の娘に向い、
「和女《そなた》は森林を探検して、何も不思議な物を見なかったか」と問えば、一番目の娘は澄ました顔で、
「ハイ、林中には立木と草のあるばかりで、隈《くま》なく探検しても少しも不思議な物は見えませんかった」と答えた、二番目の娘も同じ様に答えた、すると伯爵は三番目の娘に向い、
「和女《そなた》も矢張り不思議な物を見なかったか」
と云うと、三番目の娘露子は、携えて来た彼の奇妙な箱を室《へや》の隅から持出し、
「阿父様、不思議と云えば不思議でしょう、此様《こん》な箱が森林の中に落ちて居りました」と答えた。
伯爵は其箱を見、この答えを聴くより、忽《たちま》ち露子の腕を取って、其腕に玉村《たまむら》侯爵から贈って来た腕環《うでわ》を嵌《は》め満面に溢《あふ》るるばかりの笑《えみ》を湛《たた》えて、
「露子こそ最も勇ましき振舞をしたものだ、此腕環は和女の物である、爾《そ》して此箱も私《わし》が好奇《ものずき》の玉村侯爵の申込により、あの淋しい森林中に置いて、和女等三人の内、誰が一番勇ましいかを試したもの、侯爵の書面に『この腕環を得し人は、同時に更に多くの宝物を得べき幸運を有す』とあったのは、即《すなわ》ち勇気ある者が、此箱を取る事が出来ると云う事を意味するのだ、私《わし》は一つ此箱を開けて見せよう、之《こ》れも総《すべ》て露子の物である」と云いつつ、隠袋《ポケット》から鍵《かぎ》を取出して其箱を開けば、中から出て来たのは、金銀宝玉の装飾品数十種、いずれも眩《まばゆ》きばかりの珍品である。
一番目の娘も二番目の娘も、森林を探検し得なかった臆病《おくびょう》が露顕して真赤になった。
明日《あした》はお正月! 露子は何《ど》の様に楽しい事であろう。
底本:「少年小説大系 第2巻 押川春浪集」三一書房
1987(昭和62)年10月31日第1版第1刷発行
底本の親本:「春浪快著集 第二巻」大倉書店
1916(大正5年)年9月11日発行
初出:「少年世界」
1907(明治40)年1月号
入力:田中哲郎
校正:noriko saito
2005年8月19日作成
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