ない憂愁の歪みがあたりに拡がる。頂垂れて、しかも力をこめて彼は近づく。硝子戸に黒い紋章。一匹の蠅と砂と。過ぎゆく時が己の肩に羽搏たいてゐる。喉が渇いて、舌が痙れて……〉さうだ、嗤ふべき彼の生涯が、己の肉体にくまなくその破片を留めてゐる。だが敵意と冷笑とで己に挑みかかる彼の辛辣を思へば、寧ろ平静に酒杯をあげる己ではなかつたか、卑屈な闘ひを見棄てて、いまは己は目覚める。そしてまた歩きだす。泥濘の凹地を。アカシヤの伐られた涯を。不器用な音階を繰り返し繰り返し、入江に向つて降りてゆく。歯と歯のあひだの寒烈。裏がへしの低い太陽。太陽こそ恒に陽気でありたい。孤独に価しないものを孤独として、なんと世界は諧謔のない笑ひばかりだ。狂つた頭脳の短い顛末に就て、己は最早考へるどころではないのだ。自分こそ最も奇怪ではないか。冬の襲ふ前に、秋の去らぬ内に、彼の擾然たる街に還らう。
其処には投げだされた鉄器等、毀れた肢体、錯落する事件等。空気にはイペリットが薄く滲みて、軍鶏の肋骨がごつごつ曝らされてゐるのだ。バネの錆びた秘密や喚いてゐる塗料。誰かがきまつて言ふに違ひない。〈ありふれた眠りであつたか。夙く寝台を離れ
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