の天幕は醒めてゐる
鞴のやうな息吹きに 翳をひく時間のながれ
挑みあふ千の枝々に血を滴たらせ
雪の切々たる抑制に ただ前へ目をおとす
背におふ花の印象と燃えあがる灰の錯乱と――
吠えることを忘れ
ああ ひとりなる神の犬よ
荒々しい夢のかたまりとなつて
いまは燼のやうに動くすべをしらない
身を退いて 忍べよ
眼は鹹水に漬かるべし
剛直の毛並に油をそゝぎ
牙にはそれ伐られざる荒蕪地を横たふべし
耿々たる大理石の粉をあび ひたすら
炎上せる季節のましたに血を整へよ
ふたたび夢をゆりおこせよ
きびしい岩場の大天井にしづかにむげんの闘ひが映る
また恐ろしい時間のながれか
陶酔の歌 風に千切れて
燼
鋼の※[#「穴/果」、第3水準1−89−51]を強引に張りめぐらせて、酒精と星星の拉ぎあふ死の穹窿を、諸手に抱きこんでゐる流沙の涯だ。透明な光の群落をかきわけて、そこから馥れうつ火の奔馬達。かつては様々に、※[#「さんずい+哀」、248−上−17]りたつ悲哀や魅惑を堵け、つねに非道の輩と、飽くなき爛酔に棲みながら闘ひを決してきた己だが。ああ、またしても幻を起す、この灼かれた皮膚のしたに鎖を曳いて逆流する海洋、北方の。暗緑の飛沫にけぶる刃の弧線よ。それこそ生々たる闘ひであつてくれ。鋼の※[#「穴/果」、第3水準1−89−51]をむじんに切り破つて、脱がれて生肉の唯一なる胆妄に無数の槍を負つてゐる現在か。だが荒涼として、これが無限の修羅を墜ちてゆく全意識であらうか。――己は笑ひだす。
喉元から身を鉄条に突き刺したまま、足もとに横たわる鴉一羽。その虚ろな眼窩に喰ひさがる青褪めた血の幾筋を、――漆黒の羽毛は残虐な光の逆手にかき窩られて、燃えあがる。打ち据えられた生肉の、熱気に煽られ、戦慄の、だがもう還るすべもない影の狼煙ではないか。燃えろ、燃えあがつて彼の穹窿の大扉を思ふさまに蹴外してくれ。しどろに荊棘を藉きつめて、臨終の、いま大正午の深い畏怖にひき摺られ、殺戮のあらはな声は無辺の屋根に遠退いてゆく。擅《ほしいまま》なる――それを聴くのだ。
渇いたうへにも渇く檜葉の枝々。
黒三稜《みくり》の重なる沼沢に漬つた凶時よ、この青春時。
酔ひ痴れた姿態の裡に、蒙昧な刹那々々の反応に、ありとある幻象の隈を彫り、背徳と夢と倨傲の立ちはだかる、この青春時。荒掴みに己の裸身をひき起して、なほ哀切の言葉を薄るものは何であらう。足もとには、おお 燼が吹きつのる熱気に擾れて、このひと時の己の愛だ。苦い獣皮のやうに、酒精と星々の拉ぎあふ死の穹窿を、諸手にかけて、――流沙の涯へ沈んでゆく。
手
重い油をさすやうに
つめたく秘密にとり縋るもの
この手はひさしく慄えるペン軸を必死と握つてゐるのだが
苦がいインキは海の気配にそそがれて
やうやく乾いた血いろの底にしづんでゆく
日のひかりはこの手にとどかず
この手は叫ばずおのれに堪へ
沸騰するくらいナヂールの
大回転のしたにある
艱める翳に伏したままさうしてばらばらと頁を繰るのだが
水のいろが鹹くぶきみに漂ひながれて
虫をまいたやうに凶はしい
時をりあの強大なむなしさを孕む幕となつてなだれると
斑らの網に非情の鱶はみえかくれ
翳を払はふとするこの手もやがて見失はれる
蠅の家族
しやべり散らすな 愛を
おもひきり胸には水をそそげ
斧は真冬の面《つら》に打ちこまれて其処に※[#「穴/果」、第3水準1−89−51]を張れば陣々と鳴る
岩乗な鉄拐のうしろに廻つて
つめたい風が煤を吹きまくる季節中
そいつのために諸々の夢の所在が冱えてくるのだ
冬は
はがねの仕組みで
むしろ万人の汚辱のなかに※[#「厂+萬」、第3水準1−14−84]しく立ち
悔いと怒りに充ちた己こそ千切れなければなるまい
離散する蠅の家族ら
道は道のあるかぎり覆され
とほく終駅にえぐられた跨線橋黒だ
己は血ぬれ
移動する雲と樹々と
そそがれる水のあふれ……
冬の※[#「穴/果」、第3水準1−89−51]が鉄拐の一撃にばりり壊されては
かすかに青みどりの合唱ながれ
胸のなかひとすぢの憂愁は逆毛だつ
たちまち荒々しい光がいり擾れてくるのを
己は身に浴びて目撃する冬だ
悪霊
荒地をうしろにして少年は裸馬の上にゐた
ぎらとした染料を溶いて涯しない酷熱が来ると荒地の喚ばふ
その澱みくる酷熱にさきぶれて
渇きは風とともに舞ひあがる
むげんの引き波に漂ふものみなのしじま
鞭をならして砂塵に没した慓悍な影を見送れば
裸馬からずり落ちた少年に哄ひはいつそうむごく残され
さうしてひとたびは身を起したが
無用の白々しい風に捲かれた
兇行
この夜明け。秋の眩輝《ぐれあ》に犯されて、困憊の、ざざといふ風や光や、その微かな参差の奥に人を喚んでゐる、あ
前へ
次へ
全10ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
逸見 猶吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング