人のかいた油絵がかゝつてゐる。その間に皆三の好みらしい現代式の軽快な本箱が挟まつてゐた。しかし棚の上にはまた物々しい桐《きり》の道具箱が、油で煮たやうな色をして沢山《たくさん》並んでゐた。
 皆三は、其処《そこ》で顕微鏡を覗《のぞ》いてゐるか、昆虫の標本をいぢつてるかしてゐた。無口だが、人なつこい様子でお涌に向つた。額《ひたい》も頬《ほお》もがつしりしてゐて、熱情家らしい黒目勝ちの大きい眼が絶えず慄《ふる》へてゐるやうに見えた。沈鬱《ちんうつ》と焦躁《しょうそう》が、ときどきこの少年に目立つて見えた。
 お涌も皆三にむかつてゐると、あれほど気嵩《きがさ》で散漫だと思ふ自分がしつとり落付き、こまかく心が行届いて、無我と思へるほど自分には何にも無くなり、ひたすら皆三の身の囲りの面倒を見てやり度《た》くなるのであつた。
「だらしがないわ皆三さん。着物の脊筋《せすじ》を、こんなに曲げて着てるつてないわ」
「まるで赤ン坊」
 お涌は皆三の生活に対する不器用さを見て、いつもかういつて笑つた。しかし、その赤ん坊が自分にまともにむける眼には、最初皆三に逢《あ》つた晩に、彼の声が浸《し》みさせたと同様な
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