張合ひであつた。
 お涌の先に立つた女中が格子戸を開けた。眼の前にびつくりするやうな大きな切子燈籠《きりこどうろう》が、長い紙の裾《すそ》を垂らしてゐる。その紙を透して、油燈の灯《ほ》かげと玄関の瓦斯《ガス》の灯かげと――この時代には東京では、電気燈はなくて瓦斯燈を使つてゐた――との不思議な光線のフオーカスの中に、男の子の姿が見えた。仁王立《におうだ》ちになつてゐた。男の子は、女中ばかりでなくお涌が一しよなのに驚いた様子で、片足|退《すさ》つて身構へる様子だつたが、女中の説明を聞くうち、男の子はすつかり笑顔になつて、自分も手伝つてきいきいいふ小鳥のやうな動物を空いた鸚鵡籠《おうむかご》の中へ首尾よく移した。籠の口で、お涌が指を蝙蝠の翅《はね》から離すときに、いかにも喰ひつかれるのを怖れるやうに、勢《いきおい》づけて引込ますと、男の子はくくくと、笑つた。その声には、いぢらしいものを愛し労《いた》はる響きがあつた。
 お涌は、日頃遠くから軽蔑《けいべつ》してゐた男の子の立派な格のある姿を眼の前にはつきりと視《み》、思ひがけなくもその声からかういふ響きを聞くと、女が男に永遠に不憫《ふびん》がられ、縋《すが》らして貰《もら》ひ度《た》い希望の本能のやうなものがにはかに胸に湧《わ》き上つた。お涌はにはかに赧《あか》くなつた。それが、お涌の少女の気もちに何か戸惑《とまど》つたやうな口惜《くや》しささへ与へた。お涌は、つんと済《すま》して帰つて仕舞《しま》はうかとさへ思つたが、一たん胸に湧きあがつた本能が、ぐんぐん成長して、お涌の生意気を押へつけ、却《かえ》つて可憐《かれん》に媚《こ》びを帯びた態度をさへお涌につくらせてしまつた。
 お涌の眼と見合ふと、男の子も少し赧くなつた。男の子はその顔を鸚鵡籠へ覗《のぞ》かして
「この蝙蝠、翅が折れてら」
 とはじめて声を出して云つた。声は、金網越しに「ばか」と怒つたときの声に似てゐて、似てもつかぬ、しつかりした声だつた。だが、その声でややお涌に向いて落ちつかないもの云ひをするのだつた。するとお涌は却つて気丈になつて
「あ、ま、さうおう」
 と少し誇張したいひ方をして、美しく眉《まゆ》を皺《しわ》め、籠の中を覗き込んだ。
 十二の男の子と、十一の少女とは、やや苦しく、しかも今までにまだ覚えたことのない仄明《ほのあか》るいものを共通に感じつゝ
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