、眼はうつろに、鸚鵡籠《おうむかご》の底に、片翅《かたばね》折り畳めないでうづくまつてゐる小動物に向けてゐた。
その翌日、日比野の女中が、水引《みずひき》をかけた菓子折の箱を持つて、蝙蝠を貰《もら》つた礼を云ひにお涌の家へ来た。それから二日ばかり経《た》つて日比野の母親から、お八《や》つを差上げ度《た》いからお涌に遊びに来るやうにと招きがあつた。
皆三が十七になり、お涌が十六になつた春、皆三は水産講習所に入つて、好きな水産動物の研究に従ふことになつた。皆三はよほど人並に高等学校から大学の道を通つて進まうと思つた。が、自分のはひつてゐる中学の理科の教師でTといふ老学士が水産講習所の講師を主職にしてゐるので、その縁に牽《ひ》かれてそこへはひつた。皆三は、このT老学士には、中学校の師弟以上の親密な指導を受けてゐた。T老学士は、中学生にして稀《まれ》に見る動物学といふやうな専門的な科学に好みを寄せる皆三を、努めて引立てた。
お涌は女学校の四年生であつた。お涌が十一の少女の時、皆三に与へた蝙蝠は、籠のなかでぢき死んで仕舞《しま》つたが、お涌は蝙蝠のとき以来、日比野の家と縁がついて、出入りするやうになつた。日比野の家の、何か物事を銜《ふく》んで控へ目に暮してゐる空気がお涌にはなつかしまれた。それには豪華を消してゐるうすら冷たい感じがあつた。お涌自身の家は下町の洋服業組合の副|頭取《とうどり》をしてゐて、家中が事務所のやうに開放され、忙しく機敏な人たちが、次々と来て笑ひ声や冗談を絶《たや》さなかつた。ときには大量の刷物の包みがお涌の勉強机の側まで雪崩《なだ》れ込んだりした。
お涌は今では、日比野の家の格子戸を開けて入ると女中の出迎へも待たず玄関の間を通り中庭に面してゐる縁側へ出て、その突当りの土蔵の寒水石《かんすいせき》の石段に足をかける――「ゐるの」といふ。中から「ゐるよ」と機嫌のいい声がして「早くおはいりよ」と皆三のいふのが聞える。そのときおくれ馳《ば》せに女中が馳《は》せつけて「失礼しました」と挨拶《あいさつ》してお涌を土蔵の中に導き、なにかと斡旋《あっせん》して退く――といふやうな親しさになつてゐる。
薄暗いがよく整つた部屋で、華やかな絨氈《じゅうたん》の上に、西洋机や椅子《いす》が据ゑてあつた。周囲には家付のものらしい古絵の屏風《びょうぶ》や重厚な書棚や、西洋
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