よ》せの中に、柳の大木が生えてゐる。枝に葉のある季節には、青い簾《すだれ》のやうにその枝が、土蔵の前を覆うてゐた。町内のどの家と交際してゐるといふこともなかつた。
土蔵には、鉄格子の組まれた窓があつた。その中が勉強部屋になつてゐるらしく、末息子の皆三の顔がよく見えた。
子供達のなかの誰もこの家のことをよく知らなかつた。富んでゐる無職業《しもたや》の旧家《きゅうか》であることだけは判つたが、内部の家族の生活振りや程度のことなど、子供|等《ら》の方から、てんで知り度《た》い慾望もなかつたのである。ただ土蔵の窓から、体格のしつかりしてさうな眉目《びもく》秀麗な子供の皆三が、しよつちゆう顔を見せてゐる癖に、決して外へ出て、みんなと一緒に遊ばない超然たるところを子供達は憎んだ。さういふ型違ひな子供のゐる日比野の家は、何か秘密がありさうな不思議な家と漠然と思つてゐるだけだつた。
子供達は、お涌も時に交《まじ》つて、その土蔵の外の溝板《どぶいた》に忍び寄り、俄《にわ》かに足音を踏み立てて「ひとりぼつち――土蔵の皆三」と声を揃《そろ》へて喚《わめ》く。お涌もこの皆三の超然たるところを憎むことに於て、他の子供達に劣らなかつた。が、喚き立てる子供達の当て擦《こす》りの下卑《げび》た荒々しい言葉が、あの緊密|相《そう》な男の子の神経にかなり深刻に響いて、彼をいかに焦立《いらだ》たせるかとはらはらして堪《たま》らない気もした。それでゐてお涌自身も、子供達と一しよにますます喚き立て度《た》い不思議な衝動にいよ/\駆られるのであつた。お涌はさういふ気持ちで喚く時、脊筋《せすじ》を通る徹底した甘酸《あまずっぱ》い気持ちに襲はれ頸筋《くびすじ》を小慄《こぶる》ひさせた。
窓からは皆三の憤怒《ふんぬ》に歪《ゆが》んだ顔が現はれ
「ばか――」
と叫ぶのだが、その語尾はおろ/\声の筋をひいて彼自身の敗北を示してゐた。そのとき子供達はもう井戸の柵のところまで立退《たちの》き凱歌《がいか》を挙げてゐる。
さういふ時の皆三と、今、自分に蝙蝠を譲つて欲しいと女中にいはせに来た皆三とは、別人のやうにお涌には感じられたが、しかし、ともかくあの変つた男の子がゐて、そして町内の子どもが誰も見たことのない神秘の家へ自分ひとり入つて行くことは、お涌に取つて女中のために蝙蝠を運んで行つてやる侠気《きょうき》以上の
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