附《ちかづき》のある小初は、媚《こび》というねたねたしたものを近代的な軽快な魅力に飜訳《ほんやく》し、古典的な青海流の飛込みの型にそっと織り込ますことぐらい容易である。生ぬるい水中へぎゅーんと五体がただ一つの勢力となって突入《とつにゅう》し、全|皮膚《ひふ》の全感覚が、重くて自由で、柔軟《じゅうなん》で、緻密な液体に愛撫《あいぶ》され始めると何もかも忘れ去って、小初は「海豚《いるか》の歓《よろこ》び」を歓び始める。小初の女学校時代からのたった一人の親友、女流文学者豊村女史にある時、小初は水中の世界の荒唐無稽《こうとうむけい》な歓びを、切れ切れの体験的な言葉で語った。すると友達はその感情に関係ある的確な文学的表現を紹介《しょうかい》した。
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クッションというなら全部クッションだ。
羽根布団《はねぶとん》というなら全部羽根布団だ。
だが、水の中は、溶《と》けて自由な
もっといいもの――愛。
跳《は》ねて破れず、爪|割《さ》いて
掻き※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]《むし》らりょうか――愛。
それで海豚《イルカ》は眼を細めている。
一生、陸に上らぬ。
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これは希臘《ギリシア》の擬古狂詩《ぎこきょうし》の断片をざっと飜訳したものだそうだ。それと同じような意味を父の敬蔵《けいぞう》は老荘《ろうそう》の思想から採って、「渾沌未分の境涯《きょうがい》」だといつも小初に説明していた。
瞼《まぶた》に水の衝動《しょうどう》が少くなると小初は水中で眼を開いた。こどもの時分から一人娘を水泳の天才少女に仕立てるつもりの父親敬蔵は、かなり厳しい躾《しつ》け方をした。水を張った大桶《おおおけ》の底へ小石を沈《しず》めておいて、幼い小初に銜《くわ》え出さしたり、自分の背に小初を負うたまま隅田川の水の深瀬《ふかせ》に沈み、そこで小初を放して独りで浮き上らせたり、とにかく、水というものから恐怖《きょうふ》を取り去り、親しみを持たせるため家伝を倍加して小初を躾けた。
水中は割合に明るかった。磨硝子色《すりガラスいろ》に厚みを保って陽気でも陰気でもなかった。性を脱いでしまった現実の世界だった。黎明《れいめい》といえば永遠な黎明、黄昏《たそがれ》といえば永遠に黄昏の世界だった。陸上の生活力を一度死に晒《さら》し、実際の影響力《えいきょうりょく》を鞣《なめ》してしまい、幻《まぼろし》に溶かしている世界だった。すべての色彩《しきさい》と形が水中へ入れば一律に化生せしめられるように人間のモラルもここでは揮発性と操持性とを失った。いわば善悪が融着《ゆうちゃく》してしまった世界である。ここでは旧套《きゅうとう》の良心|過敏《かびん》性にかかっている都会娘の小初の意地も悲哀《ひあい》も執着《しゅうちゃく》も性を抜かれ、代って魚介《ぎょかい》鼈《すっぽん》が持つ素朴《そぼく》不逞《ふてい》の自由さが蘇《よみがえ》った。小初はしなやかな胴を水によじり巻きよじり巻き、飽《あ》くまで軟柔《なんじゅう》の感触《かんしょく》を楽んだ。
小初は掘《ほ》り下げた櫓台下の竪穴から浅瀬の泥底《どろぞこ》へ水を掻き上げて行くと、岸の堀垣《ほりがき》の毀《こわ》れから崩《くず》れ落ちた土が不規則なスロープになって水底へ影《かげ》をひくのが朦朧《もうろう》と目に写って来た。
この辺一体に藻《も》や蘆の古根が多く、密林の感じである。材木|繋留《けいりゅう》の太い古杭が朽《く》ちてはうち代えられたものが五六本太古の石柱のように朦朧と見える。
その柱の一本に掴《つかま》って青白い生《いき》ものが水を掻いている。薫だ。薫は小初よりずっと体は大きい。顎《あご》や頬《ほお》が涼《すず》しく削《そ》げ、整った美しい顔立ちである。小初はやにわに薫の頸《くび》と肩を捉《とら》えて、うす紫《むらさき》の唇に小粒《こつぶ》な白い歯をもって行く。薫は黙って吸わせたままに、足を上げ下げして、おとなしく泳いでいたが、小初ほど水中の息が続かないので、じきに苦悶《くもん》の色を見せはじめた。それからむやみに水を掻き裂《さ》きはじめた。とうとう絶体絶命の暴れ方をしだした。小初は物馴《ものな》れた水に溺《おぼ》れかけた人間の扱《あつか》い方で、相手に纏《まと》いつかれぬよう捌《さば》きながら、なお少しこの若い生ものの魅力の精をば吸い取った。
借家を探しに行った父親の敬蔵が帰って来て雨上りの水泳場で父娘二人きりの夕飯が始まった。借家はもう半月もして水泳場が閉鎖《へいさ》すると同時にたちまち二人に必要になるのだが、価値の釣《つ》り合《あい》などで敬蔵はなかなか見つけかねた。場所はまだ下町の中央に未練があって、毎日、その方面へ探しに行くらしかった。帰って来たときの疎髯《そぜん》を貯えた父の立派な顔が都会の紅塵《こうじん》に摩擦《まさつ》された興奮と、疲《つか》れとで、異様に歪《ゆが》んで見えた。もしかすると、どこかで一杯《いっぱい》ひっかけた好きな洋酒の酔《よ》いがまだ血管の中に残っているのかも知れない。
都会育ちの美食家の父娘は、夕飯の膳《ぜん》を一々|伊勢丹《いせたん》とかその他|洲崎《すざき》界隈の料理屋から取り寄せた。
自転車で岡持《おかも》ちを運んで来る若者は遠路をぶつぶつ叱言《こごと》いったが、小初の美貌と、父親が宛《あ》てがう心づけとで、この頃《ごろ》はころころになって、何か新らしく仕込んだ洒落《しゃれ》の一つも披露《ひろう》しながら、片隅《かたすみ》の焜炉《こんろ》で火を焙《おこ》して、お椀《わん》の汁《しる》を適度に温め、すぐ箸《はし》が執《と》れるよう膳を並《なら》べて帰って行く。
「不味《まず》いものを食うくらいならいっそ、くたばった方がいい」
これは、美味のないとき、膳の上の食品を罵倒《ばとう》する敬蔵の云《い》い草《ぐさ》だが、ひょっとすると、それが辛辣《しんらつ》な事実で父娘の身の上の現実ともなりかねない今日この頃では、敬蔵もうっかり自分の言葉癖《ことばぐせ》は出しにくかった。父娘は夜な夜な「最後の晩餐《ばんさん》」という敬虔《けいけん》な気持で言葉少なに美味に向った。
いったいが言葉少なの父娘だった。わけて感情を口に出すのを敬蔵は絶対に避《さ》けた。そういうことは嫌味《いやみ》として旧東京の老人はついにそれに対する素直な表現欲を失っていた。感情の表現にはむしろ反語か、遠廻しの象徴《しょうちょう》の言葉を使った。
「隣《となり》近所にお化粧《けしょう》のアラを拾うやつもなくてさばさばしたろう」
これが唯一《ゆいいつ》の、娘も共に零落《れいらく》させた父の詫《わ》びの表明でもあり、心やりの言葉でもあった。小初は父の気持ちを察しないではないが、「何ぼ何でもあんまり負け惜《お》しみ過ぎる」と悲しく疎《うと》まれた。
今夜はまたとても高踏的《こうとうてき》な漢籍《かんせき》の列子の中にあるという淵《ふち》の話を持ち出して父は娘に対する感情をカモフラージュした。
「淵には九つの性質がある。静水をじっと湛《たた》えているのも淵だ。流れて来た水のしばらく淀《よど》むところも淵だ。底から湧《わ》いた水が豊かに溜《たま》り、そしてまた流れ出るところも淵だ。滴《した》たって落つる水を受け止めているのも淵だ――」
父親は大体こんなふうに淵が水を受け入れる諸条件を九つの範疇《はんちゅう》にまとめて、
「これを九淵の説と云って、水はいろいろの変化で向うが、それを受け容れる淵はたった一つなのだ。この淵の無心な気持ちになっていれば世間がどう変りこっちにどう仕向けようと、余悠綽々《よゆうしゃくしゃく》なのだ。ここのところをわが青海流では、
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死屍《しし》水かかずしてよく浮く
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といって、平泳ぎのこころだ」
「それは、よくおとうさんがおっしゃる、あの渾沌未分の兄弟か何かなの」
小初は食後の小楊枝《こようじ》を使いながら父親を弥次《やじ》った。自分が人を揶揄《やゆ》することを好んで人から揶揄されることを嫌《きら》うのは都会的|諷刺家《ふうしか》の性分で、父親はそれが娘だとぐっと癪《しゃく》に触《さわ》った。しばらく黙っていたが、跳《は》ね返す警句を思いつく気力もなく、
「兄弟分でもなんでもない、全く一つのものだ」
と低い声音に渾身の力を籠《こ》めて言った。これだけ真面目《まじめ》に敬蔵が娘に云うことはめったにない。窮《きゅう》してやむを得ずこれだけまともに言ったのだ。そのせいか、彼《かれ》はそのあと急に気まりの悪い衰《おとろ》えた顔つきをして、そっと汗を拭《ふ》いた。
父親は電球の紐《ひも》を伸《のば》して、水泳場の下へ入って行った。そこでしばらくごそごそしている様子だった。
「いい具合に宵闇《よいやみ》だ。数珠子釣《じゅずこつ》りに行って来るかな」
そういって、道具を乗せて田舟を漕ぎ出して行った。父のその様子を、小初は気の毒な儚《はかな》い気持ちで見送ったが、結局何か忌々《いまいま》しい気持になった。そして一人|留守番《るすばん》のときの用心に、いつものように入口に鍵《かぎ》をかけ、電燈《でんとう》を消して、蚊帳《かや》の中に這入《はい》り、万一|忍《しの》び込《こ》むものがあるときの脅《おど》しに使う薄荷《はっか》入りの水ピストルを枕元《まくらもと》へ置いた。小初は横になり体を楽にするとピストルの薄荷がこんこん匂《にお》った。こんこん匂う薄荷が眼鼻に沁《し》み渡《わた》ると小初は静かにもう泣いていた。思えば都会|偏愛《へんあい》のあわれな父娘だ。それがため、父はいらだたしさにさもしく老衰《ろうすい》して行き、自分は初恋から卑《いや》しく五十男に転換《てんかん》して行く……。くらやみの中で自分の功利心がぴっかり眼を見開いているのに小初の一方の心では昼間水中で味《あじわ》った薫の若い肉体との感触を憶《おも》い出している……。
少したつと小初はまた起き上った。父の様子を見ようと裏口の窓を開けた。雨上りの夜の天地は濃《こ》い墨色《すみいろ》の中にたっぷり水気を溶《とか》して、艶《つや》っぽい涼味《りょうみ》が潤沢《じゅんたく》だった。下《さ》げ汐《しお》になった前屈《まえかが》みの櫓台の周囲にときどき右往左往する若鰡《わかいな》の背が星明りに閃《ひらめ》く。父はあまり遠くない蘆の中で、カンテラを燃して数珠子釣りをやっている。洲の中の環虫類《かんちゅうるい》を糸にたくさん貫《つらぬ》いて、数珠輪のようにして水に垂らす。蘆の根方に住んでいる小|鰻《うなぎ》がそれに取りつく、環《わ》をそっと引き上げて、未練に喰い下って来る小鰻を水面近くまでおびき寄せ、わきから手網《てあみ》で、さっと掬《すく》い上げる。環虫類も何だか虫の中では醜《みにく》い衰亡者《すいぼうしゃ》のように思えるし、鰻だとて、やはり時代文化に取り残されたような魚ではないか。衰亡の人間が衰亡の虫を囮《おとり》につかって衰亡の魚を捉《とら》えて娯《たの》しみにする。その灯明り――何と憐《あわ》れ深い情景であろう。むかし父親にとってこの方法の鰻取りは単なる娯しみに過ぎなかったが、今は必死の副業である。
「ゆうべ、少し漁《と》れ過ぎてね。始末に困るんだよ」
こんな鷹揚《おうよう》なものの云い方をしながら父親は獲物《えもの》を鰻|仲買《なかがい》に渡した。憐れな父子と思いながら小初はいつか今夜の父の漁れ高を胸に計算していた自分が悲しかった。
西空は一面に都会の夜街の華々《はなばな》しいものが踊《おど》りつ、打ち合いつ、砕《くだ》けつする光の反射面のようである。特に歓楽の激しい地域を指示するように所々に群《むらが》るネオンサインが光のなかへ更に強い光の輪郭《りんかく》を重ねている。さらにこの夜空のところどころにときどき大地の底から発せられるような奇矯《ききょう》な質を帯びた閃光《せんこう》がひらめいて、琴《こと》のかえ手のように幽毅《ゆうき》
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