放水路の方を見やった。一めん波が菱立《ひしだ》って来た放水路の水面を川上へ目を遡《さかのぼ》らせて行くと、中川筋と荒川筋の堺《さかい》の堤《つつみ》の両端を扼《やく》している塔橋型《とうきょうがた》の大水門の辺に競走のような張りを見せて舟々は帆《ほ》を上げている。小初の声は勇んだ。
「確かだわ。今晩は夕立ち、明日から四五日お天気は大丈夫《だいじょうぶ》よ」
「まあ、そんなところですなあ。遠泳会はうまく行くね」
掌《てのひら》を差し出して風の脈に触《ふ》れてみてから貝原は相槌《あいづち》を打った。
肩や両脇《りょうわき》を太紐《ふとひも》で荒くかが[#「かが」に傍点]って風の抜《ぬ》けるようにしてある陣羽織《じんばおり》式の青海流の水着を脱《ぬ》ぐと下から黒の水泳シャツの張り付いた小初の雄勁《ゆうけい》な身体が剥《む》き出された。こういう職務に立つときの彼女《かのじょ》の姿態に針一|突《つ》きの間違いもなく手間の極致を尽《つく》して彫《ほ》り出した象牙《ぞうげ》細工のような非人情的な完成が見られた。人間の死体のみが持つ虚静の美をこの娘は生ける肉体に備えていた。小初は、櫓板の端にすらり
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