初の挙動に気をつけていた。
 小初は四日目に来た薫を、ちょっと周囲から遠ざかった蘆洲の中の塚山《つかやま》へ連れて行った。二人は甲羅干《こうらぼし》の風をしながら水着のまま並んで砂の上に寝《ね》そべった。小初は薫を詰《なじ》るように云った。
「あんた、何でもあたしの方から仕向けなければ……狡《ずる》いのか、意気地《いくじ》なしなのか、どっちなのよ」
 小初の言葉のしんにはきりきり真面目さが透《とお》っていながら手つきはいくらかふざけたように、薫の背筋の溝《みぞ》に砂をさあっと入れる。
「よしよ。僕《ぼく》、今日苦しんでるんだ」
 薫は肘《ひじ》で払い除《の》けるが、小初は関《かま》わず背筋へ入れた砂をぽんぽんと平手で叩《たた》き均《な》らして、
「ちっとも苦しんでるように見えないわ」
「この間、水の中で君に…………、こんなに腫《は》れた」
 薫は黒くなっている唇の角をそうっと大事に差し出して見せる。
「あら、それで怒《おこ》ってるの」
「違う――君はとても強い。なまじっかなこと云い出せないもの」
 じりじりと照りつける陽の光と腹匍《はらば》いになった塚の熱砂の熱さとが、小初の肉体を上下から挟《はさ》んで、いおうようない苦痛の甘美《かんび》に、小初を陥《おとしい》れる。小初は、「がったん、すっとこ、がったん、すっとこ」そういいながら、あらためて前に組み合せた両肘の上に下膨《しもぶく》れの顔を載《の》せて眠《ねむ》りそうな様子をする。
「なに、云ってるの」
「機械のベルトの音」
 ちょうど、水泳場と塚山と三角になる地点に貝原の持ちの製板場があって、機械の止まっているのが覗かれる。
「きゅう、きれきれきれきれきれ。これは機械|鋸《のこ》が木を挽《ひ》く音」
「ふざけるの、よしよ。真面目な相談だよ。僕は知ってる」
「知ってる? 何を」
「どうせ貝原に買われて行くんでしょう」
「誰《だれ》が、どこへ」
「知ってる。みんな」
「そんなこと、誰が云った」
「誰も云わない。だけど、僕、その位なこと、わかる男だ」
 薫は女のような艶《なま》めかしい両腕で涙を拭いた。小初は砂金のように濃《こま》かく汗の玉の吹き出た薫の上半身へ頭を靠《もた》れ薫の手をとった。不憫《ふびん》で、そして、いま「男だ」と云ったばかりの薫の声が遠い昔《むかし》から自分に授《さずか》っていた決定的な男性の声のような頼母《たのも》しさを感じて嬉《うれ》し泣きに泣けて来た。
「許す?」
「許すも許さないもありゃあしない」
「薫さん、ついてお出《い》でよ。東京の真中で大びらに恋をしよう、ね」
 小初の涙が薫の手の甲《こう》を伝って指の間から熱砂のなかに沁み入った。薫はそれを涼しいもののように眼を細めて恍惚《こうこつ》と眺め入っていたが、突然《とつぜん》野太い男のバスの声になって
「そりゃ、貝原さんはいい人さ、小初先生と僕のことだって大目に見ての上で世話する気かも知れませんさ。だけど、僕あ嫌いです。いくら、僕、中学出たての小僧《こぞう》だって、僕あそんな意気地無しにあ、なれません」
「じゃあ、どうすればいいの」
「どうも出来ません。僕あ、どうせ来月から貧乏《びんぼう》な老朽親爺《ろうきゅうおやじ》に代って場末のエナ会社の書記にならなけりゃならないし、小初先生は東京の真中で贅沢《ぜいたく》に暮《く》らさなけりゃならない人なんだもの」
 ダンスの帰りの料理屋でのいきさつ――小初を世話する約束《やくそく》のほぼ出来上ったことを貝原は友達である薫の父親にゆうべ打ち明けに行ったことを薫はとうとう小初にはなした。
 薫の弱い消極的な諦《あきら》めが、むしろ悲壮《ひそう》に炎天下《えんてんか》で薫の顔を蒼《あお》く白ました。
「何も、決定的な事じゃあるまいし……」と小初は云ったが語尾は他人のように声が遠のいて行った。小初は今日まで、貝原との約束をどう薫に打ち明けようか、思いなやんでいたのである。それに自分だとてまだ貝原との約束を全然決定し切れない心に苦しめられていたのであるけれど、薫の方から、云い出されてかえって小初の心はしんと静まり返ってゆくのだった。そしてだんだん虚脱《きょだつ》に似た無批判になってゆく心境のなかにいつか涼しい一脈の境界が透《とお》って来た。父に聞いた九淵のはなし、友が訳した希臘《ギリシヤ》の狂詩――水中に潜む渾沌未分の世界……「どうでもいいわ」……小初はすべてをぶん流したあとの涼やかさを想像した。小初の泣き顔の涙も乾いて遠くの葦の葉ずれが、ひそひそと耳にささやくように聞える。小初はまたしても眠くなった。
 薫は腹這《はらば》いから立ち上った。腰だけの水泳着の浅いひだ[#「ひだ」に傍点]から綺麗な砂をほろほろ零《こぼ》しながらいい体格の少年の姿で歩き出した。小初はしばらくそれ
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