は昨夜よりまだ重かった。寝巻|一重《ひとえ》の肌《はだ》はうすら冷たい。
「秋が早く来過ぎたかしらん」
 小初は独りごちながら窓から外を覗いてみた。
 靄《もや》だ。
 よく見ていると靄は水上からだんだん灰白色の厚味を増して来る。近くの蘆洲は重たい露《つゆ》でしどろもどろに倒れている。
 今日は青海流水泳場の遠泳会の日なのである。
 小初は気が重かった。体もどこか疲れていた。けれども、父親の老先生が朝食後ひどく眩暈《めまい》を催《もよお》して水にはいれぬことになってしまったので、小初先生が先導と決った。
 十時頃から靄は雨靄と変ってしまった。けだるい雨がぽつりぽつり降って来た。
 小初は気のない顔をして少しずつ集って来る生徒達に応待していたが、助手格の貝原が平気な顔で見張船の用意に出かけたりする働き振りに妙《みょう》な抵抗《ていこう》するような気持が出て、不自然なほど快活になった。
「みなさん。大丈夫よ。いまじき晴れて来ますわよ」
 小初が赤い小旗を振って先に歩き出すと、雨で集りの悪い生徒達の団体がいつもの大勢の時より、もっと陽気に噪《はしゃ》ぎ出した。
 薫も途中から来て交った。濡《ぬ》れた道を遠泳会の一行は葛西川《かさいがわ》の袂《たもと》まで歩いた。そこから放水路の水へ滑《すべ》り込《こ》んで、舟に護《まも》られながら海へ下って行くのだ。
 小初が先頭に水に入った。男生、女生が二列になってあとに続いた。列には泳ぎ達者が一人ずつ目印の小旗を持って先頭に泳いだ。
 水の濁りはだいぶとれたが、まだ草の葉や材木の片が泡《あわ》に混って流れている。大潮の日を選んであるので、流れは人数のわずかな遠泳隊をついつい引き潮の勢いに乗せて海へ曳《ひ》いて行く。
 靄に透けてわずかに見える両岸が唯一の頼みだった。小初のすぐあとに貝原が目印の小旗を持って泳いで来る。薫はときどき小初の側面へ泳ぎ出る。黙って泳いでいる。生徒達は今日の遠泳会を一度も船へ上って休まず、コースを首尾好《しゅびよ》く泳ぎ終《おお》せれば一級ずつ昇級するのである。彼|等《ら》は勇んで「ホイヨー」「ホイヨー」と、掛声を挙げながら、ついて来る。
 行く手に浮寝《うきね》していた白い鳥の群が羽ばたいて立った。勇み立って列の中で抜手《ぬきて》を切る生徒があると貝原が大声で怒鳴《どな》った。
「くたびれるから抜手を切っちゃ
前へ 次へ
全21ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 かの子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング