せん。あなたの持っている血筋をここに新らしく立てる私の家の系図へちっとばかり注ぎ入れて頂きたいのです」
 貝原の平顔は両顎がやや張って来て、利を掴《つか》むときのような狡猾《こうかつ》な相を現わして来た。がそれもじきにまた曖昧《あいまい》になり、やがて単純な弱気な表情になって、ぎごちなく他所見《よそみ》をした。
 小初は貝原の様子などには頓着《とんじゃく》せず、貝原の言葉について考え入った。――自分の媚を望むなら、それを与《あた》えもしよう。肉体を望むなら、それを与えもしよう。魂があると仮定して、それを望むなら与えもしよう。自分がこの都会の中心に復帰出来るための手段なら、総《すべ》てを犠牲《ぎせい》に投げ出しもしよう。だがこの宮大工上りの五十男の滑稽《こっけい》な申込みようはどうだ。
「貝原さん、子供が欲しいなんて云わずに真直ぐに私が欲しいと云ったらどうですの」
「ああ。そうですか。でもあんまり失礼だと思いまして」
 貝原がようやくまともに向けた顔を真直ぐに見て、さびしい声で小初は云った。
「それで子供を生んでもらうためなんてしらじらしい、ありきたりの嘘《うそ》を云ったのですか。失礼とか恥かしいとか云っている世の中じゃないと思うわ。そんなことに捉われていたから、東京人は田舎者にずんずん追いこくられてしまったのよ。私たち必死で都会を取り返さなけりゃならないのよ」小初はきつい[#「きつい」に傍点]眼をしながら云い続けた。「それには私達、どんな取引きだってするというのよ」
 小初のきつい[#「きつい」に傍点]眼から涙《なみだ》が二三|滴《てき》落ちた。貝原は身の置場所もなく恐縮《きょうしゅく》した。小初は涙を拭いた。そして今度はすこし優しい声音で云った。
「でも貝原さん、何もかも遠泳会過ぎにして下さい、ね。私、あなたのいい方だってことはよく知ってるのよ」

 二三日晴天が続いた。川上はだいぶ降ったと見えて、放水路の川面《かわも》は赭土色《あかつちいろ》を増してふくれ上った。中川放水路の堤の塔門型の水門はきりっと閉った。水泳場のある材木堀も界隈の蘆洲の根方もたっぷりと水嵩《みずかさ》を増した。
 普通《ふつう》の顔をして貝原は毎日水泳場へ手伝いに来た。自分の持ちものの材木の流出を防いだり櫓台の錨《いかり》に石を結びつけたりした。そして見ないような振《ふ》りをして、やっぱり小
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