今、お辻の寝棺が悠々と泰松寺の山門――山城屋宗右衛門の老来の虚栄心が、ひそかに一郷の聳目《そばめ》を期待して彼の富の過剰を形の上に持ち来《きた》らしめた――をくぐつて行つた。宗右衛門には久しぶりに来て見たこの仰々《ぎょぎょう》しい山門が、背景をなす寺の前庭の寂びを含んだ老松《おいまつ》の枝の古色に何となくそぐはなく見えるのであつた。いつものやうな彼のこの山門に対する誇りと満足とは、決して彼には感じられなかつた。彼はむしろ、そのけばけばしい磨き瓦《かわら》の艶《つや》が、低く垂れた曇天の雲の色に、にぶく抑圧されてゐるのに安心した。彼は腫《は》れぼつたい眼を山門から逸《そ》らして、ほつと溜息《ためいき》をついた。彼は門脇の寄進札の劈頭《へきとう》に、あだかもこの寺門の保護者のやうに掲げ出されてある自分の名を、出来るだけ見まいとした。無頓着《むとんちゃく》な老師に先んじて、平常|斯《こ》うした俗事にまめな世話役某の顔を莫迦《ばか》/\しく思ひ浮べた。
泰松寺は寺格の高い割りに貧乏であつた。新らしい堂々たる山門に較べて、本堂はほんの後れ毛のやうに古くてみすぼらしい。お辻の棺《ひつぎ》がその赤
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