お里は十七になつたばかりの今年の春、激しい急性のリヨーマチで、二人が二人とも前後して、俄跛《にわかびっこ》になつてしまつた。人々の驚き、まして宗右衛門夫婦にとつては、驚き以上の驚きであり、悲しみ以上の悲しみであつた。妻のお辻はそれがため持病の心臓病を俄《にわ》かに重らして死んで行つた。お辻は宗右衛門に添つて三十年、宗右衛門の頑強と鋭才との下をくゞつて、よく忍従に生きて来た。お辻は一日に三度か、四度侍女や乳母《うば》にかしづかれる愛娘達の部屋を覗《のぞ》くばかりが楽しみで、だまつて奉公人と共に働いて、別に人から好いとも悪いとも、批判されるほど目立ちもしない性分であつた。が、支へを失つた巨木のやうに、宗右衛門はがつかりとお辻の死顔の前へ座り込んでしまつたのである。俄跛の姉妹のことを呉《く》れ/″\も夫にたのんで逝《い》つたお辻の死顔の蒼《あお》ざめた萎《しな》びた頬《ほお》――お辻は五十で死んだのである。
五月下旬の或る曇日の午後、山城屋の旦那寺《だんなでら》の泰松寺でお辻の葬儀が営まれた。宗右衛門は一番々頭の清之助や親類の男達に衛《まも》られながら葬列の中ほどを練《ね》つて歩いた。
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