ではあなたは、なぜあの身代だけで満足しなさらぬな、娘衆がどうならうと、妻女がその為めに死になさらうと……」
宗右衛門は、はつと頭を下げた。
「では、御老師、私はどういたしたらその業とやらが果せませうか」
「さあ、眼にも見ず、形の上でも犯さぬ業ならば、やつぱり心の上で、徐々に返すよりほかはあるまい――まづこの呪文《じゅもん》を暇のある毎《ごと》に唱へなさい。心からこれを唱へれば、懺悔《さんげ》の心がいつか自分の過去現在未来に渡つて泌《し》み入り、悪業が自然と滅して行く」
宗右衛門は、いつか眼に見えぬ形をなさぬ業因を自分の過去に探り初めてゐた。
宗右衛門の父祖は北国《ほっこく》の或《ある》藩の重職にあつた。が、その藩が一不祥事の為め瓦解《がかい》に逢《あ》ふや、草深い武蔵野《むさしの》の貧農となつて身を晦《くら》ました。宗右衛門の両親は、その不遇の為めに早世した。武家へ生れても孤児の宗右衛門は何の躾《しつけ》も薫育《くんいく》も授《さず》からず、その部落の同情で辛《かろ》うじて八九歳までの寿命を延ばしたに過ぎない。そして江戸の或る御用商人の小僧にやられた。覇気と頑強と、精力的なので多
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