少主人を顰蹙《ひんしゅく》させ、朋輩《ほうばい》達に憎がられはしても、どんどん彼は他を抜いて行つた。こんな具合で彼は二十歳をあまり過ぎなくて最早《もは》や出入りの諸大名の用人達に彼の非凡な商才と勤勉とを認められた。それのみならず、争はれぬ血統からとでも言はうか、彼は無学頑強なうちにも、おのづからなる折目|躾《しつけ》を持ち、武家への応待に一種の才能をさへ持つてゐた。今や彼は衆を圧し、老練な一番々頭をまで抜いて店の主権をかち得ようとした。その時、突然、主人夫妻は、流行の悪疫で同時に死んで行つてしまつたのである。店は間もなく瓦解《がかい》した。多くの奉公人達も自然と離散した。が殆《ほとん》どその時の店の中心であつた彼は単純に身を退くわけには行かなかつた。主人が独り遺《のこ》した娘のお辻は、自然と彼の手中に来て、彼の妻となり、老齢で隠居した一番々頭の外《ほか》に、主人の得意を譲りうけるものはなかつたので、その結果も自然と彼の処へ来た。
 江戸の西郊、彼の卜《ぼく》した地の利も彼に幸ひした。彼のその精力と頑強と覇気とを余すところなく発揮した。主人から譲り受けた出入り先きの五倍、七倍、十倍、年と
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