ちやけた本堂の畳敷の真中に置かれて、ます/\豊かに立派に見えた。宗右衛門は正座に据《すわ》つて自分のこの土地に於ける勢力を象徴するものゝやうに、本堂もひしめくばかり集つた大勢の会葬者の群を見廻した。そしてあらためてまたお辻の棺に眼をやつた。その中に横《よこた》はる蒼《あお》く萎《しな》びたお辻の死体……彼は、小さくても肉付きのよい顔かたちの人並すぐれてよく整つてゐた若い頃のお辻が、いつの間にか年をとつて、こんなに蒼く萎びたかと、納棺前のお辻の死体の傍で感じたことを思ひ出した。彼はそのとき、ろく/\妻の姿かたちさへ心にとめないで何十年間稼いで稼ぎ抜いた自分が、何となくあさましく思はれたのであつた。
二人の娘を飾るための衣装の費用よりほか――それだけはむしろ宗右衛門自身が進んで出したがる費用でもあつた――何一つ出費の厳しい夫にねだつたこともないお辻の為めに、最後のお辻の衣装である棺を立派にしてやらうと、宗右衛門は思ひ付いたのであつた。角厚な檜《ひのき》材の寝棺をお辻の死体が二つほども這入《はい》れるくらゐ広く造つた。家の奥座敷でお辻の死体をそれに入れる時「出し惜しみが急に気張つたのでお辻さんは風邪をひくわい」と兼々《かねがね》気まづかつた親類の一人が、わざと聞えよがしの陰口をきいた。いつもの宗右衛門が、かつと怒るかはりに、成程《なるほど》と思考して死体のまはりの空所に色々なものを詰めてやつた。いつの間にかお辻が丹念に蓄へて置いた珊瑚《さんご》の根掛けや珠珍の煙草《たばこ》入れ、大切に掛け惜《おし》んでゐた縞縮緬《しまちりめん》の丹前、娘達の別れがたみの人形、宗右衛門自身が江戸の或る大名家老から頂戴《ちょうだい》した羽二重《はぶたえ》の褥《しとね》が紅白二枚、死出の旅路をひとりで辿《たど》るお辻の小さな足にも殊更《ことさら》に絹|足袋《たび》を作つて穿《は》かせ、穿きかへまでも一足添へた。宗右衛門は俄《にわ》か覚えの念仏をぶつぶつ口のなかで唱へながら、何もかにも手伝つてやつた。するとまた「お旦那《だんな》も我《が》が折れた。お嬢さん達があんなになりなさつて気が弱つたからだ。」と、どこかで奉公人達が、ひそひそ言ふけはひもしたが(俺はもう誰にも何にも言はぬぞ)観念すれば何事にも意志の強い自分であることを宗右衛門は知つてゐた。そして、それがまた何となく淋《さび》しいやうにも感じられて、棺を見つめてゐた眼をしばたゝいた。そのまゝ何もかも黙つてお辻の棺について寺へ来たのである。
宗右衛門は軽い眩暈《めまい》を感じて眼を閉ぢた。何か哀願するやうなお辻の声が何処《どこ》かでした。それから、また、閉ぢた瞼《まぶた》の裏にまざ/\と二人の娘の跛《びっこ》姿が描かれるのであつた。宗右衛門は首をひとつ強く振つて、それをかき消さうとするのであつたが、却《かえ》つて場面を廻転したいまはしいシーンが、はつきりとあとへ描き出されるのであつた。やはりお辻の棺がまだ寺へ来ぬまへのことであつた。いよ/\家の奥座敷から、それを出さうとする時であつた。幾度も人の尠《すく》ない時を見計らつてはお辻の死床に名残《なごり》をおしみに来た二人の娘が、最後に揃《そろ》つて庭を隔てた離れ家《や》から出て来た。その時は如何《いか》に憚《はばか》らうにも人は棺の前後にあふれ、座敷の上下に渦をなしてゐた。低声ではあつたが、今まで何となくざわざわしてゐた人々の声が、俄《にわ》かに静まつた。宗右衛門もふと奥庭の奥深くへ眼をやつた。白無垢《しろむく》のお小夜とお里が、今、花のまばらな梔《くちなし》の陰から出てつはぶき[#「つはぶき」に傍点]に取り囲まれた筑波井《つくばい》の側に立ち現はれたところである。若い屈強な下婢《かひ》が二人左右に――姉も妹も痩《や》せ形ながら人並より高い背丈を、二人の下婢の肩にかけた両手の力で危ふく支へて僅《わず》かに自由の残る片足を覚束《おぼつか》なげに運ばせて来る。黒紋付を着た宜《よ》い老婢が一人、小婢を一人|随《したが》へて、あとから静かに付き添つて来る、……やがて薄い涙で曇つた宗右衛門の眼に、拡大されて映つた二人の娘の姿が、静まり返つた人々の間を通つて、お辻の寝棺の傍に近づいた。宗右衛門はあわてゝ立ち上つた。そして棺に高い台をかふやうに急いで命じた。人々も娘達も呆気《あっけ》にとられた。宗右衛門は娘を其処《そこ》へ座らせまいとしたのであつた。座ればその下半身は、曲らぬ片足を投げ出したまゝの浅ましい異様なもののうづくまりになるからである。棺は丁度、娘達の胸まで達した。あらためて娘達は棺に近づいた。姉も妹も並んで一所に額付《ぬかづ》いた……二人の白羽二重の振袖《ふりそで》が、二人がなよやかな首を延べて身をかゞめようとするその拍子に、丸い婢《ひ》の肩を滑つて、あだか
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