なうら[#「うら」に傍点]寂しい、そして何処《どこ》か愛嬌《あいきょう》ぶかいお作といふ小娘を見出《みいだ》したこともあつた。が、前者は家が乱れはせぬかといふ打算的|杞憂《きゆう》から、後者は、例の彼の矜持《きょうじ》が、彼を逐々、何の間違ひもないうちに引きとめた。お作は、倉のみすぼらしい米搗《こめつき》男の娘であつた。
 思へば、彼の長い一生の過ぎ来《こ》しかたに、彼が本当に心身の慾情の満足と愛敬とを籠《こ》めた恍惚《こうこつ》にひたすらひざまついた女性は一人としてなかつた。宗右衛門は悲しかつた。彼の長い一生に一度も生きた女性に費《ついや》さなかつた恋の魅惑を、この老来の而《しか》も斯《こ》うした悲惨な境遇の今、手にもとられず、声も聞き得ぬ一片の画像の女菩薩《にょぼさつ》に徴されようとは。
(これも何かの業因からかな)
 宗右衛門は眼を閉ぢて、なほ深々と、くらやみのなかへうづくまつた。


 その時以来、宗右衛門は、なるたけ女菩薩の前を通るまいとした。が、一日に二度や三度は必ず通らなければ、宗右衛門のこの寺|棲《ずま》ひの自由は絶対に取り上げられてしまふのであつた。で、宗右衛門は窮屈に面《おもて》をそむけるか、瞑目《めいもく》するかして必ずその前を通ることに極《き》めた。そのうちにはまた、あの不思議な恍惚《こうこつ》を知らなかつた以前のやうに虚心平気で只《ただ》の壁画に対する気持ちに立ち返ることが出来るであらうと単純に考へた。いそいそとして宗右衛門はそれを励行して五日たち、七日たつて行つた。そして十日から半月と――が、駄目《だめ》だつた。
 といつても、始め一寸《ちょっと》した時期のあひだ宗右衛門は、それが成功したと思つた。こんな工合《ぐあ》ひなら五日も経《た》てば容易《たやす》く何ともなくなるだらうと思つた。次には閉ぢてゐた眼をやや細めに開けた。と、画像の裾《すそ》の線がぼやけて、二三|寸《すん》見えたばかりで宗右衛門の胸はいくらかときめいた[#「ときめいた」に傍点]。まだいけないと思つてあはてゝ宗右衛門は眼を閉ぢた。だが、ときめきだけが胸に残つて、いくら眼を閉ぢても無駄《むだ》になつた。今度は納所《なっしょ》部屋の角を曲ると直ぐ宗右衛門は横を向いた。その上にまたかたく眼を閉ぢた。しかし、矢張りいけない。彼が壁画の前にさしかゝるや遂《つい》に彼は女菩薩《にょぼさ
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