少主人を顰蹙《ひんしゅく》させ、朋輩《ほうばい》達に憎がられはしても、どんどん彼は他を抜いて行つた。こんな具合で彼は二十歳をあまり過ぎなくて最早《もは》や出入りの諸大名の用人達に彼の非凡な商才と勤勉とを認められた。それのみならず、争はれぬ血統からとでも言はうか、彼は無学頑強なうちにも、おのづからなる折目|躾《しつけ》を持ち、武家への応待に一種の才能をさへ持つてゐた。今や彼は衆を圧し、老練な一番々頭をまで抜いて店の主権をかち得ようとした。その時、突然、主人夫妻は、流行の悪疫で同時に死んで行つてしまつたのである。店は間もなく瓦解《がかい》した。多くの奉公人達も自然と離散した。が殆《ほとん》どその時の店の中心であつた彼は単純に身を退くわけには行かなかつた。主人が独り遺《のこ》した娘のお辻は、自然と彼の手中に来て、彼の妻となり、老齢で隠居した一番々頭の外《ほか》に、主人の得意を譲りうけるものはなかつたので、その結果も自然と彼の処へ来た。
江戸の西郊、彼の卜《ぼく》した地の利も彼に幸ひした。彼のその精力と頑強と覇気とを余すところなく発揮した。主人から譲り受けた出入り先きの五倍、七倍、十倍、年と共に得意の大名の数を増し、二十余台の馬力車は彼の広大な屋敷内に羅列する幾十の倉々から荷を載せて毎日、江戸へ向けて出発した。江戸へ三里の往還には、いつの日もその積荷の影を絶たなかつた。彼の身辺には江戸近郷、遠くは北国西国の果《はて》からまで、何百人かの男女の雇人が密集した。彼は健康で年寄ることも忘れてゐた。妻は従順であり娘達は美しく育つた……。
彼は自分の発展と幸福の順路を、彼の三十余年間の勤勉と律気から得た当然の報酬としか、どうしても考へられない。彼は懺悔文《さんげもん》の一札を手にして、いくらかの不平をさへ感じた――もつとも彼は妻の葬儀の時、妻に対していくらかの悔《くい》と憐憫《れんびん》は感じた。が、その程度の償《つぐな》ひとして充分あの時|追悼《ついとう》はしてやつた――彼はまた幾らか奉公人に酷な所もなかつたかと省みられる節《ふし》もないではない。しかし、それも結局、やくざ者を用捨なく解雇し、懲戒するだけであつて、その償ひは質の好い使用人を優待することで充分償はれてゐる筈《はず》であるが……はて何であらう、何が斯《こ》うまで酷《ひど》く自分の今の運命に祟《たた》つて来た業因《ご
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