は煙草《たばこ》を置いて、夏のはじめ泰松寺の老師から伝授されたうろ覚えの懺悔文《さんげもん》をあわてゝ中音に唱へ始めた。
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我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋痴
従身語意之所生 一切我今皆懺悔
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この口唱が一しきり済んで、娘達のまぼろしの一めぐりしたあとへ、屋敷内のありとあらゆる倉々の俤《おもかげ》が彼の眼の前で躍《おど》り始めた。黒塗りに光る醤油《しょうゆ》倉、腰板鎧《こしいたよろい》の味噌《みそ》倉、そのほか厳丈《がんじょう》な石作りの米倉、豆倉。
彼は、今度は少し大きな声で経を誦《ず》し続けた。だが、まばたき一つで、また娘達のまぼろしがかへつて来た。
読経《どきょう》の声が、ずつと高くなると娘達の姿はかき消えて、今度は店の番頭小僧、はした[#「はした」に傍点]達のまぼろしがぞろ/\眼の前をとほり始めた。
瞼《まぶた》をべつかつこう[#「べつかつこう」に傍点]した小僧もあり、平身低頭の老番頭、そのかげから、昔、かけ先きの間違ひで無体《むたい》に解雇した中年の男のうらめしさうな顔も出る。
宗右衛門はふら/\と起き上ると、あやふくのめりさうになつた。が、辛《かろ》うじて足を踏みしめて再び蒲団《ふとん》の上にかしこまつた。そしてすつかり正式の読経の姿勢になつた。前の懺悔文を立てつゞけに誦し続けた。
宗右衛門は夏の始めから、泰松寺の仏弟子となつてゐた。お辻が死んで一ヶ月程たつてからである。或日《あるひ》宗右衛門は生来の我慢を折つて、泰松寺の老師の膝下にひざまづいたのであつた。彼は突然、信仰心を起したといふわけではなかつた。彼が寂しさ苦しさのあまり、自分を救ふ何等《なんら》かの手段を、衆生《しゅじょう》済度《さいど》僧たる老師が持ち合せるであらうといふ一面功利的な思ひつきからでもあつた。その時、老師は、梅雨の晴れ上つた午後の日ざしがあかるくさした障子《しょうじ》をうしろに端座してゐた。中庭には芍薬《しゃくやく》が見事に咲き盛つてゐた。宗右衛門はお辻の葬式以来、ます/\老師のにび[#「にび」に傍点]色姿が尊く思へた。今日は一層、その念を深めた。が、直ぐさま自分の心持ちも言ひ出せなかつた。老師は宗右衛門の娘達の不幸を先《ま》づ頭に思ひ浮べた。次に彼の妻お辻の死を思つた。
「まあ、あなたの心は、大抵、わしにも判る。時々
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