思わなかった。散々あぶく銭を男たちから絞って、好き放題なことをした商売女が、年老いて良心への償いのため、誰でもこんなことはしたいのだろう。こっちから恩恵を施してやるのだという太々しい考は持たないまでも、老妓の好意を負担には感じられなかった。生れて始めて、日々の糧《かて》の心配なく、専心に書物の中のことと、実験室の成績と突き合せながら、使える部分を自分の工夫の中へ鞣《なめ》し取って、世の中にないものを創《つく》り出して行こうとする静かで足取りの確かな生活は幸福だった。柚木は自分ながら壮躯と思われる身体に、麻布のブルーズを着て、頭を鏝《こて》で縮らし、椅子に斜に倚《よ》って、煙草を燻《く》ゆらしている自分の姿を、柱かけの鏡の中に見て、前とは別人のように思い、また若き発明家に相応《ふさ》わしいものに自分ながら思った。工房の外は廻り縁になっていて、矩形《くけい》の細長い庭には植木も少しはあった。彼は仕事に疲れると、この縁へ出て仰向けに寝転び、都会の少し淀《よど》んだ青空を眺めながら、いろいろの空想をまどろみの夢に移し入れた。
 小そのは四五日目毎に見舞って来た。ずらりと家の中を見廻して、暮しに
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