特許を取って、金を儲けることだといった。
「なら、早くそれをやればいいじゃないか」
柚木は老妓の顔を見上げたが
「やればいいじゃないかって、そう事が簡単に……(柚木はここで舌打をした)だから君たちは遊び女といわれるんだ」
「いやそうでないね。こう云い出したからには、こっちに相談に乗ろうという腹があるからだよ。食べる方は引受けるから、君、思う存分にやってみちゃどうだね」
こうして、柚木は蒔田の店から、小そのが持っている家作の一つに移った。老妓は柚木のいうままに家の一部を工房に仕替え、多少の研究の機械類も買ってやった。
小さい時から苦学をしてやっと電気学校を卒業はしたが、目的のある柚木は、体を縛られる勤人になるのは避けて、ほとんど日傭取《ひようと》り同様の臨時雇いになり、市中の電気器具店廻りをしていたが、ふと蒔田が同郷の中学の先輩で、その上世話好きの男なのに絆《ほだ》され、しばらくその店務を手伝うことになって住み込んだ。だが蒔田の家には子供が多いし、こまこました仕事は次から次とあるし、辟易《へきえき》していた矢先だったのですぐに老妓の後援を受け入れた。しかし、彼はたいして有難いとは思わなかった。散々あぶく銭を男たちから絞って、好き放題なことをした商売女が、年老いて良心への償いのため、誰でもこんなことはしたいのだろう。こっちから恩恵を施してやるのだという太々しい考は持たないまでも、老妓の好意を負担には感じられなかった。生れて始めて、日々の糧《かて》の心配なく、専心に書物の中のことと、実験室の成績と突き合せながら、使える部分を自分の工夫の中へ鞣《なめ》し取って、世の中にないものを創《つく》り出して行こうとする静かで足取りの確かな生活は幸福だった。柚木は自分ながら壮躯と思われる身体に、麻布のブルーズを着て、頭を鏝《こて》で縮らし、椅子に斜に倚《よ》って、煙草を燻《く》ゆらしている自分の姿を、柱かけの鏡の中に見て、前とは別人のように思い、また若き発明家に相応《ふさ》わしいものに自分ながら思った。工房の外は廻り縁になっていて、矩形《くけい》の細長い庭には植木も少しはあった。彼は仕事に疲れると、この縁へ出て仰向けに寝転び、都会の少し淀《よど》んだ青空を眺めながら、いろいろの空想をまどろみの夢に移し入れた。
小そのは四五日目毎に見舞って来た。ずらりと家の中を見廻して、暮しに不自由そうな部分を憶《おぼ》えて置いて、あとで自宅のものの誰かに運ばせた。
「あんたは若い人にしちゃ世話のかからない人だね。いつも家の中はきちんとしているし、よごれ物一つ溜《た》めてないね」
「そりゃそうさ。母親が早く亡くなっちゃったから、あかんぼのうちから襁褓《おむつ》を自分で洗濯して、自分で当てがった」
老妓は「まさか」と笑ったが、悲しい顔付きになって、こう云った。
「でも、男があんまり細かいことに気のつくのは偉くなれない性分じゃないのかい」
「僕だって、根からこんな性分でもなさそうだが、自然と慣らされてしまったのだね。ちっとでも自分にだらしがないところが眼につくと、自分で不安なのだ」
「何だか知らないが、欲しいものがあったら、遠慮なくいくらでもそうお云いよ」
初午《はつうま》の日には稲荷鮨《いなりずし》など取寄せて、母子のような寛《くつろ》ぎ方で食べたりした。
養女のみち子の方は気紛れであった。来はじめると毎日のように来て、柚木を遊び相手にしようとした。小さい時分から情事を商品のように取扱いつけているこの社会に育って、いくら養母が遮断《しゃだん》したつもりでも、商品的の情事が心情に染《し》みないわけはなかった。早くからマセて仕舞って、しかも、それを形式だけに覚えてしまった。青春などは素通りしてしまって、心はこどものまま固って、その上皮にほんの一重大人の分別がついてしまった。柚木は遊び事には気が乗らなかった。興味が弾まないままみち子は来るのが途絶えて、久しくしてからまたのっそりと来る。自分の家で世話をしている人間に若い男が一人いる、遊びに行かなくちゃ損だというくらいの気持ちだった。老母が縁もゆかりもない人間を拾って来て、不服らしいところもあった。
みち子は柚木の膝の上へ無造作に腰をかけた。様式だけは完全な流眄《ながしめ》をして
「どのくらい目方があるかを量ってみてよ」
柚木は二三度膝を上げ下げしたが
「結婚適齢期にしちゃあ、情操のカンカンが足りないね」
「そんなことはなくってよ、学校で操行点はAだったわよ」
みち子は柚木のいう情操という言葉の意味をわざと違えて取ったのか、本当に取り違えたものか――
柚木は衣服の上から娘の体格を探って行った。それは栄養不良の子供が一人前の女の嬌態《きょうたい》をする正体を発見したような、おかしみがあったので、彼はつい
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