いる。室子が、毎年見る墨水の春ではあるが、今年はまた、鮮かだと思う。
今戸橋、東詰の空の霞《かすみ》の中へ、玉子の黄身をこめたような朝日が、これから燃えようとして、まだ、くぐも[#「くぐも」に傍点]っている。その光線が流れを染めた加減か、岸近い水にちろちろ影を浸《ひた》す桜のいろが、河底の奥深いところに在るように見える。
黄|薔薇《ばら》色に一|幅《ぷく》曳《ひ》いている中流の水靄《みずもや》の中を、鐘ヶ淵へ石炭を運ぶ汽艇附の曳舟が鼓動の音を立てて行く。鴎《かもめ》の群が、むやみに上流へ押しあげられては、飛び揚《あが》って汐上げの下流へ移る。それを何度も繰返している。
室子は頬を撫《な》でても、胸の皮膚を撫でても、小麦いろの肌の上へ、うすい脂《あぶら》が、グリスリンのように滲み出ているのを、掌で知り、たった一夜の中にも、こんなに肉体の新陳代謝の激しい自分を、まるで海驢《あしか》のようだと思った。(事実海驢はそういう生理の動物かどうか知らなかったけれど)室子は、シュミーズを脱いで、それで身体を拭い捨て、頭を振って、髪の纏《もつ》れを振り放ち乍《なが》ら、今朝の空腹の原因を突き止めた
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