野の中に刀禰《とね》の大河が流れていた。薦《こも》、水葱《なぎ》に根を護られながら、昼は咲き夜は恋宿《こいする》という合歓《ねむ》の花の木が岸に並んで生えている。翁はこの茂みの下にしばらく憩って、疲れを癒やして行こうと思った。何に疲れたのか。もちろん旅の疲れもある。しかしもっと大きいのは娘に対する疲れであった。
福慈岳で女神の娘と訣れてから旅の中にすでに半歳以上は過ぎた。訣れは憤りと呪いを置土産にいで立ったものの、渡海の夜船の雨泊中に娘の家の庭から拾って来た福慈岳の火山弾を取出してみて、それが涙痕の形をしており、魚の形をしており、また血の色をしているところから福慈岳神としての娘の苦労を察し、決意のほどもほぼ覗《うかが》えた。それにつれて一時それなりに呵《か》し去れたと思えた娘の主張が再び心情を襲うて来て、手脚の患い以上に翁を疲らすのであった。
娘のいったことは自然の意志としたならあまりに生きて情熱に過ぎている。もちろん人間の考えだけであれだけの超越の霜は帯ばれない。娘はいのちということをいったがそれは自然と人間を合せて中から核心を取出したそのものをいうのであろうか。翁は今までの生涯
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