もないところから地平は隆起し、麓《ふもと》から中腹にさしかかり、ついに聳《そび》え立つ峯巒《ほうらん》となる。遠方から翁の指尖はこつ[#「こつ」に傍点]に嵌《はま》ったその飛躍の線に沿うて撫で移って行くと音楽のような楽しいリズムを指の腹に感ずる。地の高まりというものは何と心を昂揚さすものであろう。人を悠久に飽かしめない感動点として山は天地間に造られているのであろう。
火の端《はた》で翁は、つれづれであった。翁は腕を動かして自分の肉体の凸所を撫でまわす。肩尖、膝頭、臀部、あたま――翁の眼中、一々、その凸所の形に似通う山の姿が触覚より視覚へ通じ影像となって浮んで来た。
[#ここから2字下げ]
山処《やまと》の
ひと本すゝぎ
朝雨《あささめ》の
狭霧《さぎり》に将起《たゝん》ぞ
[#ここで字下げ終わり]
翁は身体を撫でながら愛に絶えないような声調で、微吟した。
山又山の峯の重なりを望むときの翁は、何となく焦慮を感じた。対象するもののあまりに豊量なのに惑喜させられたからだった。翁は掌を裏返しに脇腹を焦《じ》れったそうに掻いた。
峯々に雲がかかっているときは、翁は憂《うれた》げな眼を伏せ
前へ
次へ
全90ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 かの子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング