大きい。怒るときは、山腹にかみなり稲妻を起し満山は暗くなった。笑うときは峯の雪を日に輝して東海一帯の天地を朗なものにした。悲しむときは、鳴沢に小石が滑り落ちる音が止めどもなくしくしくと聞えて来る。
平野に雲の海があるとき、霞棚引けるとき、それ等を敷筵《しきむしろ》にして、幽婉な寝姿が影となって望まれる。それは息もないようなしずかな寝姿であり、見る目|憚《はばか》らぬこどものように仰《あおむ》き踏みはだかった無邪気な寝姿でもある。
しかも、女神の慧《さと》さと敏感さは年経る毎に加わるらしく、天象歳時の変異を逸早く丘麓の住民たちに予知さすことに長けて来た。従来、ただ天気の変りを予知さすだけに、峯の頂の天に掲げ出した、笠なりの雲も、近頃では、その色を黒白の二つに分け、黒の笠雲の場合は風雨のある前兆とし、白い笠雲の場合は風ばかりの前兆としたようなこまかさとなった。
幾人の神人や人間が、この女神に恋をしたことであるだろう。女神は一々、まじめに、その恋を求むる男たちに見向ったらしい。だが何人がこの女神の逞しい火の性、徹る氷の性に、また氷火相闘つ矛盾の性に承《う》け応えられるものがあったろう。彼等のあるものは火取り虫のように却って羽を焼かれ、あるものは虫入り水晶の虫のように晶結させられてしまった。矛盾の性に見向われたものは、裂かれて二重の空骸となった。それ等の空骸に向って女神は、涙をぽたぽた垂しながら、撫《な》でさすり「可哀相に、いのちの愛までは届かぬ方」というというが、誰もその意味を汲取ったものはない。ただ女神にそういわれて撫でさすられた空骸は、土に還ると共に、そこからはこけ[#「こけ」に傍点]桃のような花木、薊《あざみ》のような花草が生えた。深山榛《みやまはん》の木の根方にうち倒れた、醜い空骸は、土に還ると共に、根方に寄生して、そこから穂のような花をさし出すおにく[#「おにく」に傍点]という植物になった。
生けるものに失望したのか、それとも自分自身現実離れして行くのか、女神の姿は、住いの麓《ふもと》の館をはじめ地上ではだんだん見受け悪くなった。空間に浮ぶ方が多くなった。形よりも影、体よりも光り、姿よりも匂いで、人の見《まみ》ゆる方が多くなった。水にひたす影に於てこそ、もっとも女神の現身《うつしみ》をみることができる。
見ぬ恋に憧れたあちこちの若い河神たちが、八人と[
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