慢娘ではあった。女はもはや山の鞍部へ上って伯母の山の姿を眺め見ることはせず、理想なるものを持たず、ただその日その日を甲斐々々しく働いた。雁金《かりがね》が寒く来鳴き、新治《にいばり》の鳥羽の淡海も秋風に白浪立つ頃ともなれば、女は自分が先に立ち奴たちを率いて、裾わの田井に秋田を刈った。冬ごもり時しも、旨飯を水に醸《かも》みなし客を犒《ねぎら》う待酒の新酒の味はよろしかった。娘はどこからしても完璧の娘だった。待酒を醸む場合に、女はまずその最初の杯の一杯を、社《やしろ》に斎《いつ》き祭ってある涙石に捧げた。それは祖父の山の祖神が命終のとき持てりしものの唯一の遺身《かたみ》の品とされていた。
年頃になって、完璧の娘で、それでいて女に男の縁は薄かった。異性にしていい寄る恰好《かっこう》をするものもあるが、それは単に年頃にかかる娘への愛想か、岳神の総領娘に対しての敬意を変貌させたようなもので、恰好だけに過ぎなかった。もとより女自身からは乗り出せない。そういう触手は亀縮《かじか》んでいる。双親を通して申込まれる山々からの縁談も無いことはないのだが、ぜひ自分でなくてはと望むらしい熱意ある需《もと》めとは受取れなかった。良山良家の年頃の娘でさえあれば、一応、口をかけて問合わされる在り来りのものに過ぎなかった。双親はまた、自分たちの眼からしてたいしたものに思い做《な》している娘を、滅多な縁談にやれないといい張った。相手の山や岳神を詮議して、とかくそれ等に不足を見付け出した。娘の婚期は遅れて来た。双親は負け惜しみもあり、なに、それなら、水無瀬は筑波の岳の跡取にして、次の代の筑波は女神、女族長でやらして行くといっている。
水無瀬は何となく生きて行くことにくさくさして来た。さほど醜くもなく、これだけ物事ができる自分が、せめて、どうして男の縁が薄いのだろうか。女が男に対する魅力とは、全然こういう資格や能力とは関係ないのか。それにつけても久振りに伯母の福慈の女神のことが思い較べられて来るのであった。
往来の道が拓けるにつれ、東国の西の方よりこの東国の北部の方へ入り込んで来る旅人が多くなった。女はその人々の口からして伯母の女神のその後の消息を少しずつ詳しく聴くことができた。
「福慈の女神はだんだん若くなるようである」と旅人たちはいった。七つ八つの童女の容貌を持ち、ただその儘《まま》で身体は
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