ない。山の祖神としては、この分身によって自分にも豊かさという性格を附け加え得られ、眷属《けんぞく》の繁栄を眼に見ることである。感謝すべきだ。
姉娘に対してはとかく恋々たる山の祖神の翁も弟の岳神に対してはどういうものかこの点は諦めがよかった。
ただ一言この弟の岳神の口から聞かして貰い度いのは姉娘の福慈岳の女神の批評だった。翁はそれを聞いて、もし悪罵《あくば》の声でも放って呉れるなら不思議に牽かれる娘の女神への恋々の情を薄めてでも貰えるようにさえ感ずるのだった。
翁はここに於てはじめて姉娘に就いての口を切った。
「来る道で、実は福慈岳へも寄ってみたよ」
弟の岳神は顔の色も動かさず
「それは何よりでございました。姉さんもお歓びでございましたでしょう」
「ところが生憎《あいにく》と祭の日だったのでね。泊めて貰うこともできなかったよ」
翁はこういって弟の岳神の顔を見た。弟は諾《うなず》いたが声はあっさりしていた。
「そりゃお気の毒なことでございました。あちらはこちらと違って諸事、厳しいところもございましょう」
翁は焦《いらだ》つように訊いた。
「おまえ等は、福慈とは交際《つきあ》っていないのかい」
すると弟の岳神は言訳らしく
「なにしろ自分の持山のことで忙しく、ついついご無沙汰をしております」
そのとき岳神の妻が傍から、ちょっと口を入れた。
「前にはお姉さまのところへも、ときどき伺ってみましたのですが、ああいうお偉い方のことですから、すぐこっちに話の接穂《つぎほ》が無くなってしまう場合も多く、それにああいうご勉強家のことですから、お邪魔しましても、何かお妨げするような気もいたしますので、ついついご無沙汰勝ちになってしまったのでございますわ」
それからちょっと間を置き、
「ずいぶん、普通の女の子とは変っていらっしゃいますわね」
その言葉につれて良人の岳神も
「どういうものか、あの人の前へ出ると、威圧される気がするところから、つい心にもない肩肘の張り方をしてしまう。どうも姉弟ながらうち解けにくい」
と零《こぼ》した。
山の祖神が息子夫妻から衷情を披瀝したらしい言葉を聴いたのは、この姉娘に対する非難めく口振りを通してだけだった。
山の祖神はこれを聴くと、息子夫妻と一しょになって姉娘を非難したい気持なぞは微塵《みじん》もなくなった。腹の中で、「この平凡な若夫
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