ことを指すのではなかった。岳神が冥合しているところの山そのものを岳神の上で語らしめるその「わたくし」であった。
 山の祖神はさすがに、それとすぐ感じ取り、啓示を聴く敬虔《けいけん》な態度で、両の掌を組み合せ、篝火《かがりび》越しに聴こうとする。組んだ指の一二本だけ、組み堅め方を緩めて、ひょくひょく蠢《うご》めかしているのは、娘が何を言い出すことやらと、まだ、親振った軽蔑の念と好奇心と混ったものを山の祖神がいささか心に蓄えていることの現れと見れば見られる。
「わたくしが、わたくし自身を知ったということの誇らしさ、また、辛さ。それを何とお話したらよいでございましょう。判って頂ける言葉に苦しみます。ここでは、ただそれが、いのちを張り裂くほどの想いのもので……而《し》かも、たとえ、いのちが張り裂けようとて、心は狂いも、得死ぬことすら許されず、窮極の緊張の正気を続けさせられるという気持のものであるというぐらいしか申上げられないのを残念に思います」
 と言って、女神は、ここで溜息を一つした、白い息が夜気に淡くにじんだ。
「わたくしが、物ごころついた時分からでも、この大地の上に、四たびほど、それはそれは永く冷たい歳月と、永く暖かい歳月が、代る代る見舞うたのでありました」
 冷たい時期の間は、鈍《おぞ》く寒い大気の中に、ありとあらゆるものは、端という端、尖という尖から、氷柱《つらら》を涙のように垂らして黙り込んでいた。暖かい時期の間は、このわたりの林の中にもまめ[#「まめ」に傍点]桜が四季を通して咲き続け、三光鳥のギーッギーッという地鳴き一年じゅう絶間なかった。
「そして只今、この大地は、四度目に来た冷い時期の、そのまた中に幾たて[#「たて」に傍点]もこまかく冷温のきざみのある、ちょうどその二つ目の寒さの峠を下り降った根方の陽気の続いている時期にあるのでございます」
 まめ[#「まめ」に傍点]桜はひと年[#「ひと年」に傍点]の五月に一度咲き、同じその頃、三光鳥はこの裾野の麓へ来て鳴く。生けるものにはここしばらく住み具合のよい釣合いのとれた時期の続きであるだろう。
「この大地は、島山になっております。蜻蛉《あきつ》の形をしたこの島山の胴のまん中に、岩と岩との幅広い断《き》れ目の溝があって、そのあわいから、わたくしは生い立たせられつつあるのを見出したのでした」
 西の海を越えて、うねっ
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