だ、そこにいらっしゃいますの。お寒いのに、なぜ、おとり申上げた村里の宿へお出でになりませんの」
翁は頑是《がんぜ》ない子供が、てれながら駄々を捏ねるように、掌に拳を突き当てつつ俯向《うつむ》き勝ちにいった。
「寂しいんだよ」
「では、どうして差上げたらよろしいのでございましょう」
「どんな端っこでもいい、おまえの家へ泊めとくれよ」
翁の声は小さかったが強訴の響は籠っていた。「おまえの居ると同じ屋の棟の下にいれば気が済むのだから、決して祭りの邪魔はしないのだから」
「それが、おさせ申上られないことは、お出でにすぐ申上げたではございませんか。無理を仰《おっ》しゃっては困りますわ」
娘の声は美しく徹ったまま、山が頂より麓へ土を揺り据えたように、どっしりとした重味が添わって来た。その気勢に圧せられた翁は、却ってあらがう気持を二つ弾のような言葉で、あと先立て続けに女神へ向けて放った。
「情のこわい女だぞ」「何をまだ、この上、親を断っても修業の祭をしようというのだ。いやさ、これほど出来上った山やおまえに何の力や性格を増し加えようというのだ、慾張り」
女神は、しばらく黙って父の翁のいう言葉の意味の在所を突き止めていたが、やがて溜息をついたのち、静にいった。
「結局、おとうさまは、山の祖神の癖にこの福慈神だけはお知りになっていないことに帰着いたしますわね。よろしゅうございます、暁の祭までにはまだ間の時刻もございます。お話いたしましょう」
といって、ちょっと美しく目を瞑り考えを纏《まと》めているようだったが、こう語り出した。
「おとうさま、この福慈岳は火を背骨に岩を肋骨《ろっこつ》に、砂を肉に附けていて少しの間も苦悩と美しさと成長の働をば休めない大修業底の山なのでございますわ。見損じて下さいますな」
雨気が除かれたかして星が中天に燦《きら》めき出した。天空より以下巨大な三角形の影をもちて空間を阻み星が燦めきあえぬ部分こそ夜眠の福慈岳の姿である。頂の煙のみ覚めてその舌尖は淡く星の数十粒を舐《ねぶ》っている。
「わたくしが」
と福慈の女神は静に言葉をついだ。女神の顔は氷花のように燦めき、自然のみが持つ救いのない非情と、奥底知れない泰らかさとが、女神の身体から狭霧のようにくゆり出す。
岳神が変貌して、そしてこういうふうに言い出すとき、その「わたくし」は、最早岳神みずからの
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