げて来て、かの女は眼に薄い涙を浮べた。
かの女は感覚に誑《たぶらか》されていると知りつつも、青年のあとを追いながら明るい淋しい楽しい気持になるのをどうにも仕様がなかった。
その青年は、むす子が熱心に覗《のぞ》くであろう筈《はず》の新しい縞柄《しまがら》が飾ってある洋服地店のショウウインドウや、新古典の図案の電気器具の並んでいるショウウインドウは気にもかけずに、さっさと行き過ぎた。その代り食物屋の軒電灯の集まっている暗い路地の人影を気にしたり、カフェの入口の棕梠竹《しゅろだけ》を無慈悲に毟《むし》り取ったりした。それがどうやら田舎臭い感じを与えて、かの女に失望の影をさしかけた。高い暗い建物の下を通るときは、青年はやや立ち止って一々敵対するように見上げた。横町を越す度毎に、人の塊と一緒に待ち合して通らず、一人ゆっくり横柄に自動車のヘッドライトの中を歩いて自動車の警笛を焦立たせた。かの女はその度に、
「よして呉《く》れればいいに、野蛮な」
と胸で呟《つぶや》き、そしてそのあとに、一郎とわざと口に出して呟いた。その人でない俤《おもかげ》をその人として夢みて行き度《た》い願いは、なかなか絶ち
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