すみみ》して胸を躍らしている壁の一場面の前の人の動きにも決して注意を怠らなかった。
 そこにはたった一枚、K・S氏が携えて来たかの女のむす子のデッサンの小品が並べられてあるのだ。
 かの女を不安にしたのは、いつもその前に人だかりがして群衆の囁《ささや》きの瘤《こぶ》を作っているに引きかえ、今日はさっさと人の列は越して行くのだ。かの女は洪水が橋台を押し流してしまったあとの、滑らかな流れを見るような極度の不気味さを、人の列に感じて来た。どうしたことだろう。むす子の絵はもう飽きられたのか。人々に対して魅力を失ったのであろうか。
 かの女は不安を抑え切れなくなって、思わず覗き加減に立ち上った。人の隙《すき》から空虚なオリーヴ色の壁だけが見えて、そこにむす子の絵はない、かの女はあわて気味に近寄った。錯覚ではない。むす子の絵は姿も形もない。張札だけが曲っている。
「どうしたんだろう、一郎の絵――」
 かの女は口に出して云いながら、部屋の中をぐるぐる尋ね廻った揚句、咄嗟《とっさ》に思いついて入口の横の売場へ来た。かの女は少し息を弾ませて訊《き》いた。洋服を着た若い店員は、びっくりして直ぐ弁解口調に云
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