そんな書物に逢《あ》って?」
「シェストフですね。シェストフの虚無を随分苦しみながら噛《か》み締めました。だが、西洋人の虚無は、すでに『否定』という定義的な相手があっての上の虚無です。ですから感情的で痛快ですが、徹底した理智的なものとは云えません。と云って東洋人の虚無は、自然よりずっと冷い虚無です。石か木かに持たすべき思想です。そこで僕等は『何処へ行くべき』です」
「あなたの云うそれは、東洋の老荘思想の虚無よ。大乗哲学でいう『空』とか『無』とかはまるで違うのよ。あらゆるものを認めてそれを一たん無の価値にまで返し、其処から自由性を引き出す流通無碍《りゅうつうむげ》なものということなのよ。それこそ素晴しく闊達《かったつ》に其処からすべての生命が輝き出すということなの。ところが青年というものは、とかく否定好きなものなのよ。肯定は古くて否定は何か新鮮なように思うのね。生命の豊富な資源を使い分けるよりも、否定に片付いている方がむしろ単純で楽なんじゃない?」
「そう云われれば、僕なんか嫌でやり切れないくせに、シェストフの著書に引っぱられているわけが自分でも判るんです」
 女中が紅茶を二つ運んで来て
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