いった。なるほど、二十歳の青年で稼ぎながら勉強して行く。ピサロの子どもには感心しないものでもない。しかし、親のピサロには、どうあっても同感出来ない。印象画派生き残りの唯一の巨匠で、現在官展の元老であるピサロは貧乏ではあるまい。十分こどもに学資を与えられる身分である。たとえ、主義のためであるとしても、十九や二十の息子を、親の手から振り放って、他人の雇傭《こよう》の鞭《むち》の下で稼ぐ姿を、よくも、黙って見ていられるものである。それで自分はしゃれたピジャマでも着て、匂《にお》いのいい葉巻でもくゆらしているとすれば……そんなちぐはぐな親子の情景によって、ピサロは主義遂行に満足しているのか。かの女は、それから、あのピサロの律義で詩的な、それでいてどこか偏屈な画を見ることが嫌いになり出した。そしてピサロのむす子を想像すると、いつも親に気兼ねしている、臆病で素早く動く色の薄い瞳がちらついて来る。でなければ、主義とか理想とかを丸呑《まるの》み込みにして、それに盲従する単純すぎて鈍重な眼を輝かす青年が想像されて来る。かの女はまた、かりにピサロの親子間を立派なものに考えて見た。それから更に考えてかの女の
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