三四日おきに三四度続くうち、かの女は銀座で規矩男のあとをつけた理由を規矩男に知らせ、また次のような規矩男の身の上をも聞き知った。
外交官にしては直情径行に過ぎ、議論の多い規矩男の父の春日越後は、自然上司や儕輩《さいはい》たちに好かれなかった。駐在の勤務国としてはあまり国際関係に重要でない国々へばかり廻《まわ》されていた。
任務が暇なので、越後は生来好きであった酒にいよいよ耽《ふけ》ったが、彼はよく勉強もした。彼は駐在地の在留民と平民的に交際《つきあ》ったので、その方の評判はよかった。国際外交上では極地の果に等しい小国にいながら、目を世界の形勢に放って、いつも豊富な意見を蓄えていた。求められれば遠慮なくそれを故国の知識階級へ向けて発表した。この点ジャーナリストから重宝がられた。任官上の不満は、彼の表現を往々に激越な口調のものにした。
国々を転々して、万年公使の綽名《あだな》がついた頃、名誉大使に進級の形式の下に彼は官吏を辞めさせられた。二三の新聞雑誌が彼のために遺憾の意を表した。他のものは、彼もさすがにもう頭が古いと評した。
彼は覚悟していたらしく、特に不平を越してどうのこうのする気配もなかった。それよりも、予《かね》て意中に蓄えていた人生の理想を果し始めにかかった。
「人生の本ものを味わわなくちゃ」
これが父の死ぬまで口に絶やさなかった箴銘《しんめい》の言葉でしたと、規矩男は苦笑した。
父の越後は日本の土地の中で、一ばん郷土的の感じを深く持たせるという武蔵野の中を選んで、別荘風の住宅を建てた。それから結婚した。
「ずいぶん、晩婚なんです。父と母は二十以上も年齢が違うのです。父はそのときもう五十以上ですから、どう考えたって、自分に子供が生れた場合に、それを年頃まで監督して育て上げるという時日の確信が持てよう筈《はず》は無かったのに――その点から父もかなりエゴイズムな所のある人だったし、母も心を晦《くら》まして結婚したとも考えられます」と規矩男は云った。
母の鏡子は土地の素封家《そほうか》の娘だった。平凡な女だったが、このとき恋に破れていた。相手は同じ近郊の素封家の息子で、覇気のある青年だった。織田といった。金持の家の息子に育ったこの青年は、時代意識もあり、逆に庶民風のものを悦《よろこ》ぶ傾向が強くて、たいして嫌いでもなかった鏡子をも、お嬢さん育ちの金持の
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