から見下ろせる。浪のように起伏する灯の粒々《つぶつぶ》やネオンの瞬きは、いま揺り覚まされた眼のように新鮮で活気を帯びている。かの女は都会人らしい昂奮《こうふん》を覚えて、乗りものを騎馬かなぞのように鞭《むちう》って早く賑《にぎ》やかな街へ進めたい肉体的の衝動に駆られたが、またも、むす子と離れている自分を想《おも》い出すと、急に萎《しお》れ返り、晴々しい気持の昂揚《こうよう》なぞ、とても長くは続かなかった。
バスはMの学生地区にさしかかった。五六人の学生が乗り込んだ。帽子の徽章《きしょう》をみると、かの女のむす子が入っていた学校の生徒たちである。なつかしいと思うよりも、困ったものが眼の前に現われたといううろたえた気持の方が、かの女の先に立った。年頃に多少の違いはあろうが、むす子の中学時代を彷彿《ほうふつ》させる長い廂《ひさし》の制帽や、太いスボンの制服のいでたちだけでも、かの女の露っぽくふるえている瞼《まぶた》には、すでに毒だった。かの女は顎《あご》を寒そうに外套《がいとう》の襟の中へ埋めた。塩辛《しおから》い唾《つば》を咽喉《のど》へそっと呑《の》み下した。
かの女のむす子はM地区の学校を出て、入学試験の成績もよく、上野の美術学校へ入った。それから間もなく逸作の用務を機会に、かの女の一家は外遊することになった。
在学中でもあり、師匠筋にあたる先生の忠告もあり、かの女ははじめ、むす子を学校卒業まで日本へ残して置く気だった。
「ええ、そりゃそうですとも、基礎教育をしっかり固めてから、それから本場へ行って勉強する。これは順序です。だからあたしたち、先へ行ってよく向うの様子を見て来てあげますから、あんたも留守中落着いて勉強していなさい。よくって」
かの女は賢そうにむす子にいい聞かせた。それでむす子もその気でいた。
ところが、遽《あわただ》しい旅の仕度が整うにつれ、かの女は、むす子の落着いた姿と見較《みくら》べて憂鬱《ゆううつ》になり出した。とうとうかの女はいい出した。「永くもない一生のうちに、しばらくでも親子離れて暮すなんて……先のことは先にして――あんたどう思います」逸作は答えた。「うん、連れてこう」
親たちのこの模様がえを聞かされた時、かなり一緒に行き度《た》い心を抑えていたむす子は「なんだい、なんだい」と赫《あか》くなって自分の苦笑にむせ[#「むせ」に傍点
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