前のフランス語に、やや通用出来る英語を混えて、かの女と直接話すようになった。娘は相当知識的で、かの女に日本の女性の事を訊くにつけても、「ゲイシャ、それからヨシハラ、そんなもの以外にちゃんとした女がたくさんあるんでしょう」といったり、「日本の女は形式的には男から冷淡にされるけれども、内容的にはたいへん愛されるんだそうですね」といったりした。
娘は「猫のお湯屋」の絵草紙を見たことがあって、「あれがもし、日本の女たちの入る風呂の習慣としたら、同性たちと一緒に話したり慰め合ったりしながら湯に入れて、こんな便利な風呂の入り方はない」と羨《うらや》ましそうにいった。
時計は午前二時を過ぎた。攪《か》き廻《まわ》されて濃くなった部屋の空気は、サフランの花を踏み躙《にじ》ったような一種の甘い妖《あや》しい匂いに充《み》ち、肉体を気だるくさす代りに精神をしばしば不安に突き抜くほど鋭く閃《ひらめ》かせた。人と人との言葉は警句ばかりとなり、それも談話としてはほんの形式だけで、意味は身振りや表情でとっくの先に通じてしまう。廻転《かいてん》ドアの客の出入りも少くなり、その代り、詰めに詰め込んだという座席の客は、いずれもこの悪魔的の感興の時間に殉ずる一種の覚悟と横着とを唇の辺にたたえ、その気分の影響は、広間全体をどっしりと重いものに見せて来た。根のいいロシア人の即席似顔画描きが、隣のキャフェ・ル・ドームを流した後らしく、入って来て、客の気分を見計いながら、鉛筆の先と愛想笑いで頼み手を誘惑しているが、誰も相手にしない。
「さあ、とうとう、やって来た」
満腹するとすっかり子供に返ってしまって、誰とでもじゃれて遊びたい仔犬《こいぬ》のように、さっきから身体中に弾力の渦巻を転々さして、興味の眼を八方に向け放っていたむす子は、そういって、おかしさに堪え兼ねるように肩を慄《ふる》わして笑った。
さっき室内噴水のそばに席を取っていた男女の一群が、崩れかかるようにして寄って来た。
額に捲髪《カール》のあるロザリが先に立って、その次に男と腕を組んで、少し狡《ず》るそうな美しい娘のエレンが、気取って済ましてついて来た。その後に牛のような青年がまた一人いた。
かの女は、すっかりうれしくなって、全く子供の遊び友達を迎える気持で、彼等の席をつくった。
どっちも緑の褶《ひだ》が樺色《かばいろ》に光る同じ
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