事業家によくある好意をもって他人の事情を打診する表情で「お子さんはもう巴里に何年ぐらいになりますかな。よほど永いように思いますが――」
 かの女は、何となく、老紳士の息子に対して気兼ねが出て、自分のむす子の遊学の話など、すぐ返事が出来なかった。また逸作が代っていった。
「僕等が、昭和四年に洋行するとき、連れて行ったまま、残して来たんです」
「まだ、お年若でしょうに。中学は出られましたかな」
 この老紳士は、中学教育に余程力点を置いているらしい。そして逸作からむす子の学歴の説明を聴いてほっとしたように、
「中学も立派に卒業されて、美術学校へ入られた……ほほう、そして美術学校の途中から外国へ出られたというんですな。しかし、何しろ洋画はあちらが本場だから仕方がない」
「学校の先生方も、基礎教育だけは日本でしろとずいぶん止められたんですが、どうにもこれ[#「これ」に傍点](かの女を指して)が置いて行けなかったんで」
 すると老紳士は、好人物の顔を丸出しにして褒めそやすようにいった。
「なるほど、ひとり息子さんだからな、それも無理はない」
 かの女は他人《ひと》のことばかりに思いやりが良くて、自分の息子には一向無関心らしい老紳士が、粗《あら》っぽく思えて興醒《きょうざ》めた。が、ひょっとすると、この老紳士は自分の気持を他人の上に移して、心やりにする旧官僚風の人物にままある気質の人で、内外では案外、寸刻の間も、自分の息子の上にいたわりの眼を離さないのかも知れない。老父が青年の息子と二人で、春の夜、喫茶店に連れ立って来るなどという風景も、気をつけて見れば、しんみりした眺めである。
 かの女は、だんだん老紳士に対する好感が増して行き、慈《いつく》しむような眼《まな》ざしで青年の姿を眺めていると、老紳士は、暗黙の中にそれを感謝するらしく、
「だが、よく、むす子さんを一人で置いて来られましたな。巴里のような誘惑の多い処へ。まだ年若な方を、あすこへ一人置かれることは余程の英断だ」
 老紳士は曾《かつ》て外遊視察の途中、彼の都へ数日滞在したときの見聞を思い出して来て、息子の青年には知らしたくない部分だけは独逸語《ドイツご》なぞ使って、一二、巴里|繁昌記《はんじょうき》を語った。老紳士の顔は、すこし弾んで棗《なつめ》の実のような色になった。青年は相変らず、眉根《まゆね》一つ動かさず、孤独でか
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