かの女がやや怯《おび》えている様子をみて逸作が纏《まとま》りよく答えた。
「つまり、これがですな。性質があんまり感情的なんで、却《かえ》って性質とまるで反対な哲学なんて、理智的な方向のものを求めたんでしょうなあ。つまり、女の本能の無意識な自衛的手段でしょうなあ」
「ははあ、そして、それは、何年前位から始めなさった」
場所柄にしては、あんまり素朴に一身上の事実を根問い葉問いされるものと、かの女はちょっと息を詰めて口を結んだが、ふだん質問する人達には誰へも正直に云っている通りに云った。
「二十年程まえ、感情上の大失敗をしました。研究はそれ以来なのです」
かの女がいい終るか終らないかに、老紳士は、
「ははあ、それは好い、ふーむ、なるほど」
そして、伸び上るように室内をきょときょと見廻《みまわ》した。
感情上のはなしと聞いて、よく世間にある老人のように、うるさいものと思い取り、こういう態度で、暗に、打ち切りを宣告したのかも知れない。こまかい心理の話なぞ、どうせ人に理解して貰えやしまいと普段から諦《あきら》めをつけているかの女は、老紳士の「ははあ、それは好い」と片付けた、そのアッサリし方が案外気に入って、少しおかしくなった。そして、この親を持つ子供はどんな子供かと、微笑しながら、かの女はあらためてまた青年に眼を移した。
煙草《たばこ》も喫《す》わないそのむす子は、アイスクリームを丁寧に喰《た》べ終えてから、両手を膝《ひざ》の上へ戻し、弱々しい視線をテーブルの上へ落して、熱心でも無関心でもない様子で、父親と知人の談話を聞いていた。
かの女はこの無力なおとなしさに対して、多少、解説を求めたい気持になった。
「御子息さまは……学校の方は……何ですか」
うっかり、何処の学校を、いつ卒業したかと訊《き》きそうになって、こんな成熟不能の青年では、ひょっとしたら、どの学校も覚束《おぼつか》なくはないかと懸念して、遠慮の言葉を濁した。すると案の定、老紳士は、
「どうも弱いので、これは中学だけで、よさせましてな」
と云ったが、格別息子の未成熟に心を傷めたり、ひけ目を感じている様子も見せず、普通な大きい声だった。それから質問のよい思い付きを見付けたように、
「ときに、お宅のむす子さんは……たしか、巴里《パリ》でしたな、まだお帰りにならんかな」
と首を前へ突き出して来た。この種の社会
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