手堅く、画なども自分から売ったことがない。その点で美術関係の諸方面にかなり信用が蓄積されていた。そういう下地がある上に、彼は一旦物事を遣《や》り出すと、その成績に冴《さ》えて凄味《すごみ》が出るほど徹底した。
 そんなことでK・S氏の作品展覧会は、逸作の奔走により、来着後数日ならずして、市中の最も枢要な場所に在るデパートに小ぢんまりした部屋を急造させて賑《にぎ》やかに開催された。
「こんな性急なことは、巴里のどんな有力な画家でも出来ないことです。巴里ではどんなに早くても三月はかかります」
 K・S氏はむしろ呆《あき》れながら、歓《よろこ》びにわくわくして云った。何度も何度も礼を云った。
 ホテルの一室で、立続けに電話をかけたり、紹介の文案を書いたり、訪問記者と折衝したりして、深い疲労と、極度な喫煙で、どろんとした顔付きになっている逸作は、強いて事もなげに言った。
「いや、お気遣いなさるな。あなた方はむす子の友人です」それから沈痛な唇の引き締め方をして、また事務に取りかかった。
 かの女は、今こそこの父はむす子の幼時に負うた不情の罪を贖《あがな》う決心でいるのだと思った。ときどき眼を瞑《つむ》って頭を軽く振っているのは、出そうになる涙を強情に振り戻しているのではあるまいか、それとも脳貧血を起しかけて眩暈《めまい》でもするのではあるまいか。父はあまりによき父になり過ぎた。
「パパ。少し翻訳を代りましょうか。休んで下さい」
 すると、逸作は珍しく瞳《ひとみ》の焦点をかの女の瞳に熱く見合せて云った。
「僕が満足するまでやらせろ」


 かの女と逸作は、星ヶ岡の茶寮を出て、K・S氏夫妻と共に、今日で終りの展覧会場へ寄ってみようと、ぶらぶら虎の門まで歩いて来た。春もやや準備が出来たといった工合《ぐあい》に、和やかなものが、晴れた空にも、建物を包む丘の茂みにも含みかけていた。
 かの女と逸作の友人の実業家が招いて呉《く》れたK・S氏夫妻の招待は、茶寮の農家の間が場席だった。煤《すす》けた梁《はり》や柱に黒光りがするくらい年代のある田舎家の座敷を、そっくりそのまま持ち込まれた茶座敷には、囲炉裏《いろり》もあり、行灯《あんどん》もあった。西洋人に日本の郷土色を知せるには便利だろうという実業家の心尽しだった。稚子髷《ちごまげ》に振り袖《そで》の少女の給仕が配膳《はいぜん》を運んで来た。
前へ 次へ
全86ページ中78ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 かの子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング