う材料もなくなり、逸作は今度は、K・S氏の日本画壇への紹介方法について直ぐに考え出した。
「彼、展覧会をするような作品を持って来ただろうか」
かの女は、
「兎《と》に角《かく》今夜は銀座でも見せてあげて、日本食を上げましょう。直ぐホテルへ電話かけてあげて下さい」
「よし、君は新夫人に花でも持って行ってあげたらいい」
かの女は早速着物を着換えた。K・S氏は巴里画壇の大家の中でも、特にむす子に親しくして呉れている人であり、先輩というより、兄分といった程に寛《くつろ》いでむす子が交際《つきあ》っていることは、かの女によく知れていた。それ程むす子に与えられている知遇に親が報いてやるための奔走はもちろんのことながら、もし自分がむす子の母として、K・S氏に悪い印象を与えるような婦人であったら、K・S氏が今後むす子に対する思惑《おもわく》にも影響しまいものでもない。わけて女である新夫人も一緒にいることではあり、これは十分心遣いが要るとかの女は思った。母思いのむす子は、母の前では母に厳しく、母の陰では母が自慢であった。どんなにか、なつかしさに熱して、母を讃《たた》え、母をこの画家夫妻に立派に話しているかも判らない。かの女は身づくろいをしながら、どうかむす子がK・S氏の脳裡に与えているむす子の母の像を、自分は裏切り度《た》くないものだと、しきりに念じた。
傲岸不屈《ごうがんふくつ》の逸作も、同じようなことを感じているらしく、珍しく自分の方から、かの女の支度を促しに来ながら云った。
「いやになっちゃう。子供が世話になってる人というと、何だか急所を掴《つか》まえられているようで、一目置いちまう。人間もから[#「から」に傍点]意気地がなくなっちゃう」
K・S氏は思ったより若く、才敏な紳士であった。身なりも穏当な事務家風であった。しかし、神経質に人の気を兼ねて、好意を無にすまいと極度に気遣いするところは、世俗に臆病《おくびょう》な芸術家らしいところがあった。若夫人はわきに添って素直に咲く花のように如才なく、微笑を湛《たた》えていた。
ホテルから早速案内した銀座の日本料理屋では、畳に切り込んであるオトシ[#「オトシ」に傍点]に西洋人夫妻と逸作は足を突込み、かの女一人だけ足を後へ曲げて坐《すわ》って、オトシ[#「オトシ」に傍点]の上の食台に向っていた。窓からは柳の梢越《こずえご》し
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