かの女は、まず第一に夫人を美人だなと思った。それは昔風の形容の詞句を胸のうちに思い泛《うか》べさせる美人だなと思った。いわゆる瓜実顔《うりざねがお》に整った目鼻立ちが、描けるように位置の坪に嵌《はま》っていて、眉《まゆ》はやや迫って濃かった。かの女は逸作の所蔵品で明治初期の風俗を描いた色刷りの浮世絵や単色の挿画を見て知っていた。いわゆる鹿鳴館時代《ろくめいかんじだい》と名付ける和洋混淆《わようこんこう》の文化がその時期にあって、女の容姿にも一つタイプを作った。江戸前のきりりとして、しかも大まかな女形男優顔の女が、前髪を額に垂らしたり、束髪に網をかけたりしていた。そして襟の詰った裾《すそ》の長い洋装をしていた。
いま夫人は髪や服装を現代にはしているが、顔立ちは鹿鳴館時代の美人の系統をひくものがあった。土着の武蔵野の女には元来こういうタイプがあるのか、それともこの夫人だけが特にこういう顔立ちに生れついたのか、かの女は疑いながら、しかし無条件に通俗な標準の眼から見たら、結局こういうのが美人と云えるのではないかと思ったりした。蔦の葉の単衣《ひとえ》が長身の身体に目立たぬよう着こなされていた。
「この辺は藪《やぶ》がありますので、春の末からもう蚊が出ますのでございますよ。お気をつけ遊ばせ」
と、ちょっと何か払うようなしなやかな手つきをして、更に女中の持って来た果物を勧めたりした。
始終七分身の態度で、款待《もてな》しつづけ、決してかの女の正面に面と向き合わない夫人の様子に、かの女は不満を覚えて来た。
「奥さま、もう結構でございますわ。勝手に頂戴《ちょうだい》いたしますから」かの女はなおもシトロンの壜《びん》の口をあけて、コップの口に臨ませて来る夫人を軽く手で制してそう云った。「それよりか、奥さまにもお楽にして頂いて、何かお話を承りとうございますわ」
「恐れ入ります」
夫人はやっとソファの端に膝《ひざ》を下ろした。しかし、両手で袖口《そでぐち》を引っぱってから畏《かしこ》まるように膝を揃《そろ》え、顎《あご》を引いて、やっぱり顔を伏せ気味にしている。
かの女はすこし焦《じ》れて来た。ひょっとしたら自分の息子と交際のある年上の女性というところをおかしく考え、一種の反意をこういう態度によって示すのではないかしらと、僻《ひが》みをさえ覚えた。かの女は何とか取做《とりな》さ
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