たか」
と規矩男が傍へ寄って来るのを、かの女は押しのけてどんどん歩き出した。
規矩男の家は武蔵野の打ち続く平地に盛り上った一つの瘤《こぶ》のような高まりの上に礎石を載せていた。天井の高い二階建ての洋館は、辺りの日本建築を見下すように見える。赤い煉瓦《れんが》造りの壁面を蔦蔓《つたづる》がたんねんに這《は》い繁ってしまっている。棲家として一番落着きのある風情を感じさせるものは、イギリスの住宅建築だということを、規矩男の父親は、その外国生活時代に熟々《つくづく》感じたので、辺りの純日本風景にはそぐわないとも考えたが、そんな客観的の心配は切り捨てて、思い切り純英国式の棲家を造らせ、外国で使用した英国風の調度類を各室にあふれるように並べて、豊富で力強い気分を漂わせた。建築当初は武蔵野の田畑の青味に対照して、けばけばしく見え、それが却《かえ》ってこの棲家を孤独な淋しい普請のようにも見させたが、武蔵野の土から生えた蔦が次第にくすみ行く赤煉瓦の壁を取り巻き、平地の草の色をこの棲家の上にも配色すると、大地に根を下ろした大巌《おおいわ》のように一種の威容を見せて来た。
正面の石段を登ると、細いバンドのように閂《かんぬき》のついた木扉が両方に開いて、前房《ヴェルチビュル》は薄暗い。一方には二階の明るさを想《おも》わせる、やや急傾斜の階梯《かいてい》がかっちりと重々しく落着いた階段を見せている。錆《さ》びた朱いろの絨緞《じゅうたん》を敷きつめたところどころに、外国製らしい獣皮の剥製《はくせい》が置いてあり、石膏《せっこう》の女神像や銅像の武者像などが、規律よく並んでいる。
かの女を出迎えて、それからサロンへ導いた規矩男の母親は、
「毎度、規矩男がお世話さまになりますことで」
と半身を捩《ね》じらして頭を下げた。もっともその拍子にかの女の様子をちらりと盗《ぬす》み視《み》したけれども、かの女はどこの夫人にもあり勝ちな癖だからと、別にこれをこの夫人の特色とも認めることは出来なかった。
かの女は普通に礼を返した。
話はぽつんとそれで切れた。好奇心で一ぱいのかの女には却って何やかや観察の時間が与えられ都合がよかったが、常識的の社交の儀礼に気を使うらしい夫人は、ひどく手持ち無沙汰《ぶさた》らしく、その上茶を勧めたり菓子を出したりして、沈黙の時間を埋めることを心懸けているように見えた。
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