のクラブの会員であった。
 此の手紙はスルイヤ、アグネス母娘の感情のもつれを少し離れて冷静な立場から考えさせる余裕を与えるものとして、二人に喜んで迎えられた。斯うしてアグネスは六月五日、朝九時ヴィクトリヤ・ステーションから巴里へ向けロンドンを去ったのであった。
 以下アグネスがロンドンに残した母スルイヤに宛てて寄こした通信である。

六月五日夜 第一信(巴里にて)
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ママ、巴里へ着いたの。いつもママと一緒に出かけて色々の事務を分担してやって来た私が今度は一人旅だったので荷物やら切符やら食料やら仲々厄介でした。ドーヴァー海峡は少し荒れましたが霧が濃く無かったので定刻通り、フランスのカレーへ到着出来ました。巴里北停車場では直ぐ私の制服、徽章《きしょう》を見付けてイボギンヌが駈け寄りました。車中で初対面の挨拶をフランス語で言おうと暗誦して居たのにイボギンヌが、いきなり抱き付きましたので英語でしゃべってしまいました。タキシーでイボギンヌの家へ行きました。イボギンヌの家は可《か》なり大きな靴屋さんです。イギリス製の靴が沢山在るそうです。イボギンヌは写真に在るより美人よ。とても生き生きしてシークよ。髪はマロンよ。話す時、大げさな身振りをするので此方《こちら》が恥かしくなるわ。でもフランス娘は敏感で、とてもこちらの気持を直ぐ汲み取るわ。イボギンヌの家庭は愛想のよい御両親の外《ほか》に女学校二年生の妹が一人あるの。これから此の人達を家庭教師にしてフランス語の練習です。
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六月七日 第二信(巴里にて)
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昨日はルーブル博物館を見に行きました。古代の名画や名彫刻を見て人間の偉大な一面を感じました。其の内には随分沢山のものがナポレオンの戦利品だそうです。こんな立派な品々を力ずくで他国から取って来た勝利者の乱暴さにあきれます。近い内にアンバリドのナポレオンの墓を見に連れて行って貰います。今朝はイボギンヌにせがんで巴里の東隅に在るヴァンサンヌ広場の上空で行われるフランス空軍の大演習を見に行きました。六百台余の重爆撃機が天地を震撼させて進軍する様は世界を席捲《せっけん》するが如く感じました。とても英国なんか敵《かな》えそうもないような気がしてじりじりしました。ママ私どうしても陸軍飛行隊へ志願するわ。アーミー・ジョンソンの記録
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