めた月光を含む靄の中からサンミッシェル街の灯影を思い泛《うか》べて、秋の深まり行く巴里の巷《ちまた》を幸福と懊悩《おうのう》に乱れ乍《なが》らさまよい歩いた。斯《こ》うしてカテリイヌと二度会う機会を待っているうちに新吉は思いがけなく遊び女のリサと逢って仕舞った。
新吉は寝椅子の上でおみち[#「おみち」に傍点]の手紙を状袋にしまった。それから手を伸して貴金属商アンドレの店頭装飾写真の入っている額椽《がくぶち》のうしろへ挟んだ。十年以上も無視していたおみち[#「おみち」に傍点]が急に蘇って来たのはどうしたわけだろうか。たった二三行の手紙の文句で日本へ帰る思いが燃え立ったのはどうしたわけだろうか。おみち[#「おみち」に傍点]のあのおさな顔が其のまゝでちらほら白髪が額にほつれて来た。此の報告が巴里の生活で情感を磨《みが》き減らして無感覚のまゝ冴え返っている新吉の心に可なりのさびしみを呼び起した。おみちがたゞ年老いて行くことだけでは憐れとも思わない。あの眼も口も篦《へら》で一すくいずつ平たい丸みから土をすくっただけで出来上っている永遠に滑らかな人形のような顔。それに時が爪をかけはじめたのだ
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