よい》かぎり潔《いさぎ》よく青春を葬ろうか。
新吉が幻覚の中をさまよっているのにも頓着なくジャネットは、しきりに元気で未熟な踊りの調子で新吉を追い廻していた。新吉がやっと気がついて、その調子に合せようとすると、案外|狡《ずる》く調子を静め、それからステップの合間/\[#「/\」に「ママ」の注記]に老成《ま》せたさゝやきを新吉の耳に聞かせ始めた。
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――あんた。あたしと今日もう此所だけで訣《わか》れるつもり。」
――しかたがない。」
――やっぱりカテリイヌのこと忘れられないと見えるのね。」
――おや、どうして、君、それ、知ってるの。」
――あたしがリサから送られた娘だということ、始めからあんた気が付いたでしょう。」
――ああ、そうとも。」
――あたし、ほんとはカテリイヌの秘密知って居るのよ。」
――秘密※[#感嘆符疑問符、1−8−78] どうして。どんな。」
――あたしは、カテリイヌの私生児よ。そしてカテリイヌは、もうとっくに死んじゃったわ。」
――そりゃほんとか。ほんとのことを言ってるのか。」
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ジャネットは返事をしないでかすかに鼻をすゝった。新吉は娘をわしづかみのように抱いて席へ帰ったが何も言わなかった。たゞまじ/\と娘を前に引据えて眺めて居た。ベッシェール夫人はほの/″\とした茴香《ういきょう》の匂の中で、すっかり酔って居る。そしてまたなにか新吉にしつこく云い絡《から》まろうとして、真青な顔色を引締めてジャネットを見詰めて居る新吉の様子に気が付くと黙ってしまった。
新吉が巴里に対して抱いて居た唯一のうい/\しい[#「うい/\しい」は底本では「うろ/\しい」]追憶であるカテリイヌも、新吉が教授の家で会った時には、もう三つにもなる娘の子を生んで居たのであった。其の子は恋愛というほどでもなく、ただちょっとした弾みから彼女の父の建築場の職工の間に出来て仕舞った。だから生むと直ぐその子をロアール川沿いの田舎村へ里子に遣《や》り、縁切り同様になった。ジャネットに物心がついて母を慕う時分にはカテリイヌは埃及《エジプト》へ行って居た若い建築技師と結婚したものゝ間もなく病死してしまった。彼女の父は職工とだけで誰だか解らなかった。ジャネットは全くみなし児の田舎娘として年頃近くまでロアール地方で育ったのであった。
リサがこれを新吉にすっかり話したのは祭の翌日だった。天気は前夕の雨で洗われて一層綺麗に晴れ、何を考えても直ぐ蒸発してしまうような夏の日であった。新吉はセーヌ河の「中の島」で多くの人に混って釣をして居た。リサは其の後でベンチに腰かけて、ほどきものをして居た。
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――そういう娘をあたしが見つけたというのも私の郷里がやっぱりロアールの田舎だからなのよ。今年の春あたしが国へ帰って、偶然あの娘の世話人に頼まれて、巴里へ連れて来たのよ。いつもあなたからカテリイヌのことを聞かされてたあたしとして何かの折に一趣向して見たくなったのも無理ないでしょう。だからあなたには昨日まで絶対にあの娘のことを秘密にしといたの。ところで、あなたは案の条《じょう》あたしの考え通り、あの娘のために元気を恢復なさったわね。あなた何か希望を持ちだしたように顔の表情まで生々して来たわ。」
――おれはあの娘にこれから世話をしてやると約束したよ。」
――やっぱり堅い乳房を持った娘は男にとって魅力があるのね。」
――そんなじゃないんだ。すこし言葉に気をつけて呉れ。」
――じゃ父親にでもなった気で昔の恋人の忘れがたみを育てようというおつもり。」
――そうでもないんだ。」
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新吉は釣り竿を引き上げ水中で魚にとられた餌を取りかえて、
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――兎も角、おれが巴里で始めて出会った初恋娘のカテリイヌの本当の事情は大分おれの想像と違っていた。あの女はそれほどうい/\しい女でもなければ神聖な女でもなかった。いわば平凡な令嬢だった。それでおれは十何年間も彼女に実は自分の夢を喰わされていたわけさ。自分の不明とはいいながら相当腹が立つわけさ。そこでおれはあの娘を見つけたのを幸い、是非自分の想像していたカテリイヌのように彼女を仕立て上げて見ようというわけさ。」
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リサはちょっと狡《ずる》そうな顔をして訊いた。
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――仕立て上げたところで、あらためてカテリイヌの代りに愛して行こうとなさるの。」
――違う。おれの想像していたカテリイヌのようにあの娘を仕立て上げる。其の事だけで復讐は充分じゃないか。僕の想像を裏切った死んだカテリイヌにも、僕自身の不明に対しても
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