扉の彼方へ
岡本かの子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)良人《おっと》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)癖|締《し》め
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 結婚式の夜、茶の間で良人《おっと》は私が堅くなってやっと焙《い》れてあげた番茶をおいしそうに一口飲んでから、茶碗を膝に置いて云いました。
「これから、あなたとは永らく一つ家の棟《むね》の下に住んで貰わなければならん。遠慮はなるべく早く切り上げるようになさるがいい」
 私は良人にこう云われると、持ち前の子供らしさが出てつい小さな欠伸《あくび》を一つ出して仕舞いました。良人はそれを見るとやや嗄《か》れたような中年男の声に、いたわりの甘味をふくめて、「ははあ」と軽く笑って云うのでした。
「一日中人中で式や挨拶やで嘸《さぞ》窮屈疲れがしたでしょう。今夜はゆっくり寝みなさるがいい。廻り椽の角の日本座敷、あすこはこの先ともずっとあなたの部屋になるところだから、どうにでも気儘《きまま》にして寛《くつろ》いで下さい」
 私はどぎまぎして良人のいうことの意味はよく酌《く》み取れませんでしたが、良人の気性を充分に知っている私は、夫のそのいたわりを全部善意にうけ取ることが出来ました。私は小学生が復習の日課を許して貰ったように、お叩頭《じぎ》をして、つい、
「有難うございます」と云って仕舞いました。
 そして「おやすみなさいまし」と元気よく云って立ち上り、良人が呼んで呉れた老女に導かれて部屋へ退こうとしました。その時良人はちょっと手を上げて私を呼び止め、微笑しながら云いました。
「あなたを大切にして上げる気持ち、判ってるでしょうね」
 私は、さきにも云いました通り、夫の言葉を全部善意に解して、何を誤解などしようかと、その時も何の気も付かずにいましたが、なるほどあとで考えれば、相手に嫌われてるのではないかと、まだ相手は心に打ち解けられないものを持っているのではあるまいかなど、随分疑ってもよい、良人の仕打ちでないことはありませんのです。私がずっと年下の後添《のちぞ》いの妻であるだけに、それが一層あってよい筈でした。
 ここでちょっと、私と只今の良人との結婚の事情を説明して、お話しますが、良人はもと私の父に使われていたある種の科学研究所の助手で、父と何か意見の衝突があって、学問は思いとどまり、自分で事業を経営して見たがうまく行かず、一度外国へ立退いて帰ってから一廉《ひとかど》の事業企劃家《プラン・メーカ》になったのだそうです。良人は四十も過ぎているし、私はやっと二十二の春を迎えた許《ばか》りですし、誰が見ても順当に運んだ新郎新婦とは受取りますまい。良人が父の助手時代は、私はまったくこどもで、良人の動静については殆ど知りませず、年頃になってから、正月と盆にだけ私の実家へ挨拶に来る紳士があって、それが今の良人であったのですが、ただ普通に義理堅い父の旧弟子の一人と思っていただけです。その時分はもう父はなくなっていましたから、良人は座敷へ上りはするが、母に会ってお土産《みやげ》の品を出し、簡単な世間話や、時候の挨拶位で、帰って行きました。
 たまたま私が居合せると、女中に代ってお茶を運ばせられることぐらいはあり、その時良人は私に向って、愛想に西洋の娘さんの話などしたり、ある時はまた父の在世中の逸話など二三して、「お亡《な》くなりになってから、やっぱり先生は偉い方だったと想い出されます」と母と私に向って、等分に云ったりしたのを覚えています。
 その人は骨組ががっしりして大柄な樫《かし》の木造りの扉《ドア》のような感じのする男で、橙《だいだい》色がかったチョコレート色の洋服が、日本人にしては珍らしく似合うという柄の人でした。豊な顎《あご》を内へ引いて髭《ひげ》はなく、鼻の根の両脇に瞳を正しく揃《そろ》え、ごく僅か上眼使いに相手を正視するという態度でした。左の手はしょっちゅう洋袴《ずぼん》のポケットへ入れていましたが、胸のハンカチを取出すとき、案外白い大きい手の無名指《くすりゆび》にエンゲージリングの黄ろい細金がきらりと光ったのを覚えています。
 その人が帰ったあと、私は母に何気なく
「あの方、結婚してなさるの」と訊きますと、母は
「してなさるが、どうも奥さんと面白くない噂でね」と云いました。

 私はそのとき、青年の珪次との恋に夢中になっていましたから、こんな壮年の妻帯者に興味どころではなく、全く没交渉の感じしか持っていませんでした。珪次はそのとき私と同じ年の二十一で、みずみずした青年でした。官立大学で経済を学んでいたために、父亡き後の母は、この遠縁に当って足繁く自家へ出入する青年を、何かと相談相手にして、いわば私との恋仲も黙許よりも、寧《むし》ろ奨励する形で、結婚にまで熟するのは容易な道行でありました。それが妨げられたのはたった一つの事件のためであります。
 私の母は気性の派手な、負けず嫌いな、その癖|締《し》め括《くく》りのない、学者の妻というよりは、まあ事業家の妻にした方が適任と思われる性質の女でした。私の家には私の外《ほか》に、弟妹四人あって、男二人は父親似の学者肌ですから、いつ独立して生活費の採れる見込みか判らないし、妹二人も母の性質にすれば、身分以上の仕度をしてよい家へ嫁入らせたかったのでしょう。どっちみちお金が欲しいところです。それで父親が遺して行った多少の動産を、珪次と相談して郷里の銀行へ出資したのだそうです。私はその方面に暗い女のことですからよくも判りませんが、その銀行は組織は無限責任の代りに出資者の利益は多い筈なのだそうです。
 それが見込み違いとなって、銀行はあやしくなり出して仕舞ったものですから、母は珪次を憎み出しました。
「あんな無責任な男はない」
 珪次にいわせると「そう性急《せっかち》に利益を挙げようたって無理だ」
 とにかく、私の行く手は遮《さえざ》られました。私は母に内密でそっと珪次に相談すると、
「関《かま》わないから、家を出てしまい給え。二人とも命がけならどんな事だって出来る」
 こう云った珪次と二人で思い切って借りて住んだアパートの生活も、始めは面白く行きましたが、すぐ珪次は飽きて来ました。
「やっぱり幸福には金は附きものだな。何とかして来よう」
 明るく気が利いて美貌の青年はどこの知合いへ行っても、おいしいものやお酒にはありつけます。しかし、お金を貸して呉れるほどの親身な知合いはありません。
 夜おそくドアを叩いて、ほろ酔い機嫌をわざと渋い表情で押えながら、
「きょうは留守の家ばかりにぶつかってね。あしたはきっと何とかなるよ」
 それから世間で聞いて来た面白い話や、とても景気のいい私たちの未来の空想話をして、床に入ると思うと、いい気持ちそうに直《す》ぐに鼾《いびさ》をかきました。
 それも度々では私に間が悪くなったと見え、三日目に一夜、二日目に一夜、友達の下宿へ泊って帰らぬようになりました。そのころのことです。ふと新聞の社会面で、今の良人の及川の妻が他の男と心中をした記事が出ているのを見つけましたのは。私はそのとき母がいつぞや「及川さん夫婦はうまく行かない」と云った噂は本当であり、そうまで妻にさせた及川にどんな事情があるにせよ、やっぱり酷い男なのではないかと思いはしたが、そのときの私には人の身の上を深く批判している余裕もなく、一途《いちず》に感情的な気持ちになって、それが自分達の身の上にふりかかっているせつなさと入り交って仕舞いました。珪次だとて、自分を嫌ってつれなくするのでなく、つまりは仕方なくなってこうもしているのだということが判っているものですから、ふと及川の妻の行為を知ってから、それに示唆されるような具合いに、むしろあしたでも帰って来たら、最初家出のときの覚悟の実行を珪次に勧めてみようかと思い定めて寝ました。
 そして、あくる朝、再びその新聞を見ると、八百屋が買物の蒟蒻《こんにゃく》を包んで呉れた古新聞で、日附は一年半ほども前の出来事です。私は何だか気が脱けてしまって、なんだと思っているところへ、ひょっこり帰って来た珪次の顔を見ると、生れつき何の屈托も取付けそうにない爽《さわやか》な青年なのを、私ゆえのために、こうもしょんぼりさせているのかと思うと、いじらしいような楽しみのような気持ちが起りまして、
「こらっ、いけずやさん、なぜ帰ったの」と笑いながら責めてやりました。すると珪次は案外に立ち勝った私の迎え方に有頂天になって、私の肩を抱えて、「御免、ね」と子供のように謝《あやま》りました。私は何とも知れぬ涙がはらはらと零《こぼ》れて、花のようなこの青年を決して私のために散らすまい。もし、そういう羽目にもなれば、自分一人だけの所決にしようと決心しました。
 その日は私の持ちものの最後を洗い浚《ざら》い持たせてやって、金に代えさせ、珪次を存分に御馳走してやりました。

 また二日ばかり経った珪次の留守の日のこと、私は小さい土鍋で、残った蒟蒻をくつくつ煮ていました。一寸《ちょっと》書き添えたいのですが、私はどういうものか子供の時から、あの捉えどころのないような味と風体《ふうてい》で人を焦《じ》らすような蒟蒻が大好物でした。私は鉛のような憂鬱に閉されて、湯玉で蒟蒻の切れの躍るのが、土鍋の中から嘲笑《あざわら》うように感じられるので、吹き上げるのも構わず、蓋《ふた》でぐっと圧《おさ》えていました。何も食べるものの無くなった今、蒟蒻は貴重な糧食であるばかりでなく、私はどうせ餓死するなら蒟蒻ばかり食べて死のうと、こんないこじな気持ちを募らせていました。丁度その時です。
「お嬢さん、クッキングですか」
 普通の人の背では届かぬアパートの部屋の窓の硝子《ガラス》戸の隙から、帽子の下の及川の正しく並んだ眼が覗《のぞ》いていました。顔は痩せて蒼黒く見えました。私は思わず部屋着の胸を掻き合せました。

「私も人生の失敗者です。その失敗者が同じ失敗者のあなたをお迎えに来るなんて妙なわけですが、おかあさまがお気の毒なので、お頼みをそのまま引受けてお迎えに参りました。場合によっては、自分のことは棚に上げて、ご意見でも何でも申しますよ」
 二人が部屋に向き合ってからの及川の言葉でありました。
 及川は寂しそうに笑いました。私はその男の寂しい笑顔を見ると、自分と珪次があんなに突き詰めて情熱を籠めて行動して来た生活が、まるで浮いた戯《たわむ》れのように顧られました。何と抗《さから》うてみても体験で固めたこの厚い扉のように堅く寂しい男の笑顔に対しては、爪も立たないように思われました。私をある悲惨な決意にさえ導きそうな現在の憂鬱さえ、彼の前にはまだ甘いものに感じられました。しかし、彼に黙って迎え取られて行く前に、たった一つ訊いてみなければならないことがある。私はちょっと口籠《くちごも》りながら、しかし勇気を起して訊ねました。
「あの、あなたの奥さまの悲劇はどういうことから起りましたの」
 すると、及川はぐっと口を結んだが、額《ひたい》の小鬢《こびん》には興奮の血管が太く二三筋現れました。けれどやがてその興奮をも強く圧えてから云った。
「つまり、私があんまり完全無欠に女を愛し切ろうとしたためです。あの種の女に取ってはそういう男の熱情がただ圧制とばかり感じられて、死にもの狂いの反抗心を起させると見えます。こんなことを人に話しても判って貰えないかも知れませんが……」
 及川は顔を悪魔のように皺《しわ》めて、
「やっぱり女には一部分それとなく気ままな自由を残して置いてやらなければ息がつけないと見えますね」
 悔いと怒りを堪えるために却って無表情に帰した中年男の逞ましい意旨だけが、大きく瞠いた眼と、膨れた鼻孔とに読めました。
「私も前半生に於て痛切な勉強をしたものです」と彼は小さく声を低めて云いました。
 私はむくりと骨から剥がれた肉の痛みのようなものを心に感じて、今居ない珪次が可愛相でならなくなりました。その痛みは珪次から離れて、この中年の男に牽かれ始めた私の魂の剥離作用に
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