がうまく行かず、一度外国へ立退いて帰ってから一廉《ひとかど》の事業企劃家《プラン・メーカ》になったのだそうです。良人は四十も過ぎているし、私はやっと二十二の春を迎えた許《ばか》りですし、誰が見ても順当に運んだ新郎新婦とは受取りますまい。良人が父の助手時代は、私はまったくこどもで、良人の動静については殆ど知りませず、年頃になってから、正月と盆にだけ私の実家へ挨拶に来る紳士があって、それが今の良人であったのですが、ただ普通に義理堅い父の旧弟子の一人と思っていただけです。その時分はもう父はなくなっていましたから、良人は座敷へ上りはするが、母に会ってお土産《みやげ》の品を出し、簡単な世間話や、時候の挨拶位で、帰って行きました。
たまたま私が居合せると、女中に代ってお茶を運ばせられることぐらいはあり、その時良人は私に向って、愛想に西洋の娘さんの話などしたり、ある時はまた父の在世中の逸話など二三して、「お亡《な》くなりになってから、やっぱり先生は偉い方だったと想い出されます」と母と私に向って、等分に云ったりしたのを覚えています。
その人は骨組ががっしりして大柄な樫《かし》の木造りの扉《ドア》の
前へ
次へ
全19ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 かの子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング